・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・そして。

 一旦病院の外へ出てみんなに連絡してきたという哲平は、病室に戻ってくるなり
「―― 気ィ抜けた」
と言ってベッドの横に座り込んでしまった。
「床の上でかまへんから、ねーさんら来るまで寝かして〜。ゆうべ、ほとんど眠れんかってやぁ」
 本当にそのまま寝ようとするので、
「えっ!? てっ、哲平っ・・・・・ あ痛てっ!!」
 起き上がることもまだできないのについ脇を覗き込もうとして、思いっきり身体に痛みが走る。
「恭ちゃん、無理すんなやー」
「いや、だって・・・ あ、看護婦さん、すみませーん!」
 ちょうど入ってきた看護士さんに、付き添い用の簡易寝台を使わせてもらえないか頼む。すると、
くすくす笑いながらすぐに用意をしてくれた。
 後から入ってきた先生がカルテを手にして尋ねてくる。
「大事なこと聞いてなかったわ。あなた、お名前は?」
 そういえば、まだ言ってなかったっけ。
「真神、恭介です」
「――真神さんね、はい。じゃ、これでいろいろ書類もきちんとできるから。あ、そこの名札も
 書いといてもらうわね」
 ベッドに付いている患者名のプレートを指してそう言い、先生は出て行った。
 ―― 3日前の日付が入った、名前の部分が空白のプレート。
「・・・ 俺、本当に3日も寝てたのか・・・・・・」
「今更なに言うとんねん」
 哲平が横の寝台からぶつぶつ眠そうに文句を言う。
「だって覚えてないし・・・ あ、そう言えばさぁ、さっき・・・・・・ 呼んだ?」
「んー?」
「目が覚める前に、名前を呼ばれたような気がしたんだけど・・・・・・」
「―― 誰に」
「わかんない・・・・・・ ただ、すごくなつかしい感じがしたことだけ憶えてる・・・」
 あれは、誰の声だったのだろう ――
 返事がないので耳をすませてみると、哲平はすっかり眠ってしまったようで、寝台の方から
寝息が聞こえてきた。
 すると、つられてこちらもまた眠くなってくる。
「あら、二人ともお休み? じゃカーテン引きましょうか」
 そう言って看護士さんが窓の方に手を伸ばし、外を見て声をあげた。
「もう雪やんじゃったのねぇ。積もらないで消えちゃうわね」
 ・・・ そうして、うっかり二人とも寝てしまったので、後から到着したみんな(特に京香さんと
成美さん)にちょっと怒られた。

 ―― もっと怒られたのは、翌日、事故に遭った理由の話になった時だった。
「暴走車に向かってわざわざ突っ込んだ――!?」
 い、いくら個室でも病院の中なんだから大声はまずいんじゃないかと・・・
 しかし全員そんな事かまってくれない。
「どうしてそんな危ない事したの、真神くんっ!!」
「あんた本当に馬鹿じゃないの!?」
「恭ちゃん・・・ いくら反射神経良くてもそれは無謀通り越して自殺行為やろ」
「マジ勘弁してくださいよ、もう」
 言い訳をする隙もない。
 その場を救ってくれたのは、騒ぎをとがめに来た看護士さんではなく、病室を訪ねてきた
中学生くらいの制服の少女だった。
「あの・・・・・・」
 中の騒ぎに戸惑って、入口で立ち止まっている。
 彼女の顔には見覚えがあった。
「あ、君は――」
 声をかけると、ようやく周囲のみんなもお客さんに気が付いてひとまず糾弾を止めてくれた。
 彼女が通れるように端へ寄って道を開ける。
「お母さんの具合はどう?」
 傍に来てもらってそう尋ねると、
「あ、はいっ! ほんとにありがとうございました! 母さんは明日もう退院していいって。打撲
 だけで骨折はなかったし、脳波も異常ないからって・・・・・ あの」
 少女は勢いよく頭を下げた。
「すみませんっ!! 母さん助けてもらったせいで、こんな大ケガされる事になっちゃって」
「いや、謝ったりしなくていいよ。それより、君は大丈夫? 目の前であんな事になって
 怖かっただろ」
「あ・・・ あはは」
 一瞬あの時の事を思い出したのか表情がこわばったが、すぐに照れ笑いに変わった。・・・
強い子だな。
「・・・ あたし、金網にしがみついて馬鹿みたいに叫んでましたよねー? 母さんに言われちゃい
 ました。いくら逃げろって何度も怒鳴られたって、ああいう時はすぐに動けるもんじゃないのよって」
 
 学校の横を通りかかった母親が、金網の向こうに娘の姿を見つけて声を掛ける。
 気が付いて娘が駆け寄り、会話を交わす二人。
 そこへ轟音がして車が迫ってくる。
 金網には出入り口が無く、母親は逃げ場がない。
 目の前にいるのに、助けたいのに何もできない。

『逃げて、母さん、逃げて――――!!』

 いつの間にか室内の全員が何とも云えない表情でこちらを見ていた。
「・・・ だから、すごいですよね。えと、お名前、真神さん、でしたっけ。咄嗟に母さんの事かばって
 車から避けさせてくれて。あのままあそこにいたら絶対に死んでたって、警察の人が言ってました。
 あたしも駄目だって思いましたもん。でも気が付いたら母さんはあっちの方に退いてて、隣に
 真神さんが倒れてて・・・・・・」
「ああ、俺もちょっと失敗しちゃったんだ。あの車ふらついてたから、もう少し上手く避けられるかと
 思ったんだけど、やっぱりギリギリのところで引っかけられちゃってさ。君のお母さんが直接
 何処かにぶつからないようにするのが精いっぱいだった。
 ・・・ ところで、この病院はどうやってわかったの?」
「昨日、所長さんて方が母さんの病室に来て下さったんです。それで教えてもらいました。あらためて
 ご挨拶に来ますけど、あたしだけでも先にって。うち、父さんが海外に行ってて、すぐ帰って
 来られないんです」
「え、それじゃ家は君一人なの? 大丈夫?」
「近所に家族ぐるみで付き合いのある友達がいるし、学校の先生もよくしてくれますから。平気です」
 ―― その後さらに少し話してから、少女はもう一度礼を言って帰って行った。
「・・・・・・・・・」
 見送った視線を病室の中に戻してみると、何故かみんな目を逸らしていた。そのまま誰も何も
言わないので、しばらく複雑な気配のする沈黙が室内におりる。
「・・・ やっぱり、あんた馬鹿よ。―― 帰るわ。1号、車出して」
 最初に成美さんがそう言って立ち上がった。
「へーい。・・・ 恭ちゃんて、ホンマにとことん恭ちゃんやなー」
と言って哲平がついて出て行く。
「何なんだよそれは・・・」
「あ、オレも失礼します。そんじゃまた」
 タカも一緒に出て行ってしまったので、残ったのは京香さんだけになった。
 やけに長い溜息をついた後、京香さんはきっと顔を上げてこちらを見た。
「真神くん」
「は、はい」
「そういうところが真神くんだからしょうがないんだけど、もう少し自分の事も考えて?」
「はい。―― すみません」
 ・・・病室に初めて入って来た時の哲平の顔を見てしまったから。そして、俺を探している間の
みんなの気持ちを痛いほど感じたから。
 何も余計な事は言わずに、ただそれだけを答えた――――。

      ☆           ☆          ☆         ☆          ☆

 2週間後、鳴海探偵事務所。
「真神くん、いよいよ明日退院よねー。そうだ、後で白石くんに電話して、時間を打ち合わせて
 おかなくちゃ」
 機嫌の良さそうな京香が、ポストから取ってきた郵便物をデスクの上に広げて仕分けしている。
「あー、迎えに行くんだったっけか。ご苦労さん」
 煙草をくわえながらソファでファイルをめくっていた誠司の手が、京香の次の声で止まった。
「あら? ・・・ 何かしら、これ。紙は綺麗だけど・・・ 何かの広告? それともいたずらかしら」
「どうした」
 誠司は立っていって京香の傍に手をついた。
 「探偵事務所」という名前に興味をひかれてか、悪戯の手紙が来る事はときどきある。大抵は
害のないものだったが、悪質な嫌がらせでケガをする可能性もあるので、一応気を付けないと
いけない。
「ほら、これ」
 京香は困惑した表情で問題のものを示す。
 上質な紙の封筒に、見事なカリグラフィで “Imformation”とのみ書かれている。
 裏を返すと、呆れた事にロウで封印してあった。
「・・・ 手が込んでるな」
 お返しとばかりにわざわざペーパーナイフで封を開けてみる。すると、中身も封筒にふさわしく
しっかりした白地の、レリーフが浮かび上がったメッセージカードが入っていた。
 ――しかし。
 文面を一瞥した誠司の表情がさっと変わる。
 その目が厳しくなり、再びメッセージを読み返した。

“Selene selected her Endymion”

 そこには一行、そう記されていた。

                                           【To be continued】


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送