長い夜になった。

 リストの住所を探し当て、病院の受付にとびこみ、一昨日の交通事故で運び込まれた患者は
いないか尋ねる、その手順を延々と繰り返す。
 病院側の対応も様々で、すげなく「いない」と断られたり、確認にひどく時間がかかったり、
或いは間違った相手を紹介されたりした。それもまたいつの間にかパターンになってゆく。
 時刻が遅くなっていくにつれ、個人病院のような小さな所では閉まっているものも出始めた。
そういう時は、
「呼んで出て来ない所は後回しにしていい」
 誠司はあとの二人に伝えた。
「そいつはつまり、切羽詰まった状態の患者がいないってことだろう。それなら未確認の
 場所を先に当たった方が数が稼げる」
 それでも、入院患者の消灯時間を過ぎ、夜間救急しか受け入れないような時間帯になって
くると、大きな総合病院でも「担当がいなくてわからないから受付時間中に来てくれ」と断られる
方が多くなってきた。
 そこで、時刻が深夜を回る頃、誠司は外回りを一旦中止にして鳴海探偵事務所まで
哲平とタカを呼び戻した。二人は無論続けたがったのだが、
「ここで無駄な努力をして倒れるより、休める時に休んで次の行動に備えるのが結局早道って
 もんだぞ」
と説得され、渋々引き上げたのだった。
 実際その頃にはみんな身体が冷えきっていて、放っておくと楽勝で風邪引きになりかねなかった。
 灯りもまばらになった夜更けの街を凍えながら戻って来ると、古びたビルの上階にひとつだけ
灯っている鳴海探偵事務所の窓が彼らを迎え入れた。
 そして中に入ると、作業と深夜の疲れとで目を赤くした京香が、彼らを労って熱い飲み物を
用意してくれていた。
「お疲れさま。寒かったでしょう? 毛布もあるから、よかったら少し休んでね」
「いえ、オレらは・・・ 京香ねーさんこそ、リストとずっと睨めっこで疲れてんのとちゃいますか」
「ううん。成美が半分引き受けてくれたから大分減ったのよ」
「・・・成美ねーさんが?」
 京香は腕を組んで怒った顔をした。
「あの子ったらいきなり電話かけてきて『アンタだけに任せておいたらトロくて進まないんだから』
 なんて言うのよ!! まったくもうっ」
「・・・あー・・・・・・」
 成美の下僕二人組は反応に困る。
「いいんじゃねぇか? 助かってるんだし。ついでにあっちで寝かせてもらえよ。ワトスン君、
 悪いけど一息ついたら女王様の所まで京香送ってくれるかー? で、二人とも朝まで一休み
 しろって伝えて」
「え」
「お父さん!?」
 誠司はコーヒーのカップを空にして、次に煙草の火を点けているところだった。
「うちに帰るより近いし、家に一人でいるよりゃいいだろう?」
「で、でも!」
「いいから行ってこいって。その方が“お姉ちゃん”も気が紛れるだろ」
「・・・・・・・・・・わかったわ」
 京香は渋々頷いた。
「白石くん、ごめんね。お願いするわ」
「へい」

 東公園の木立の向こうに一軒だけ明かりのついているセクンドゥムは、窓に映るアンティークの
影とあいまって、まるでお伽話に出てくる魔女の館のようだった。・・・住人をよく知っているだけに
そんなイメージが湧くのかも知れないが。
 「おばんでーす」
 挨拶しながら何故かこんな時間に鍵のかかっていなかった扉を開ける。すると、店の奥から
パソコン机の前で作業をしていたらしい店主がふらりと現れた。
「――なんでアンタが来るのよ」
 第一声がこれだ。哲平は頭が痛くなった。
「私だって来たくなかったわよっ! でも、お父さんが・・・」
「すんません、事務所の方、オレら男3人でいっぱいなんですわ。大将が京香ねーさん泊めたって
 くれへんかって。あ、あと片付いたリストがあったらオレもらって帰りますんで」
 仕方なくフォローを入れる。
「・・・あ、そう・・・ちょっと待って。――京香、あんたは二階に行ってなさいよ。ヘルちゃん寝てるから
 起こさないでね」
「――ねーさん? 猫って夜行性とちゃいましたっけ」
「だって寒いじゃない」
「・・・・・・・・・・」
 さらに頭が痛くなるような事を言って、成美は再び奥へ入っていった。
 京香が溜息をつく。
「しょうがないけど、ここで徹夜して風邪でも引かれたら困るから、今晩は見張りって事よね、うん!」
 こちらは何とか自分で自分を納得させたらしい。
 成美が紙の束を持って戻って来た。哲平の方にそれを突き出しながら、一方
「二階に行ってろって言ったじゃないの。なんでまだこんな所に突っ立ってんの? 風邪引いても
 うつさないでよね」
「それはこっちの台詞よーっ!!」
 ・・・・・・この二人は大丈夫そうだ。――逃げよう。
「あ、じゃオレ戻りますんでー。おやすみなさ〜い」
 後ずさりして扉に手を掛ける。リストを持って、そのまま素早く店の外に出た。
 ・・・公園の角を曲がる時振り向いてみたら、一階の明かりは消えていたが、二階の明るい窓から
何やら声と物音がまだしているようだった。・・・

 事務所に戻ると、タカが眠そうな顔で
「お帰りなさいッス〜」
と声を掛けてきた。
「おう、お前まだ寝とらんかったんか」
「や、そんな」
「・・・兄貴分が起きてるんじゃ休めんだろうよ」
 既に灰皿を山盛りにした誠司が言った。
「だから、お前さんもそろそろ寝とけ。ああ、リストはそこに置いといてくれればいいから」
と、デスクを示す。
「俺はこっちに移るから、お前さん達二人でソファ使いな」
「大将は?」
「――このデスクの前に座るのも久しぶりだからな。たまにはいいさ」
 そうして、普段は壁の方に寄せてある仕切りをソファとデスクの間へ移動してきた。スタンドの
灯りを点け、部屋の電気のスイッチを切ってブラインドを下ろすと、じゃあお休み、と言って仕切りの
向こう側に消える。・・・・・・
 明かりを消しただけで、急に室内の静けさが増したように感じた。
 時計の音がやけに響くような気がする。
「・・・・・・・・・」
 毛布をざっと胸の上に掛け、哲平はソファの上で仰向けになって天井を見つめた。
 テーブルを挟んで反対側のタカの方は、しばらく落ち着かなげに動いていたが、やはり昼間の
疲れが出たらしい。そのうち寝入ったようだ。
 哲平の方は眠れないまま時々周りを見回していたが、ふと気が付くと、仕切りの向こうから
ペンを走らせる音が聞こえてきた。
 誠司は未だリストを相手にしているらしい。スタンドの光の中に紫煙が漂い、ひろがっていく。
 それを何とはなしに眺めていると
「思いつめるなよ」
 ふいに声を掛けられて、目を見張る。
「夜中にあれこれ考えて悩む事にロクなもんはない。日の光に照らし直せば消えちまうような
 事ばかりだ」
「そやかて・・・・・・!」
 今夜のうちに何かあったら。これまで行った場所の中に実はすれ違いや見落としがあったら。
・・・どうしても、その焦りは消えない。
「あいつはなあ――」
 そこで、またひとかたまり煙が流れてきた。
「自分では運が悪いと思ってるらしいが、実はとんでもない強運の主じゃないかと俺は思うんだよ」
「・・・え・・・・・・?」
「ただ、その運が『生き延びること』一点に集中しているってだけでな。そもそも、あいつが
 生まれる時からそうだったろ」
「・・・・・・!」
 恭介の――成美のでもあるが――母は、恭介を妊娠中に家族ごとパーツに拉致され、そのまま
なら強制的に臓器提供者にされていた。無論そうなっていれば彼は生まれていない。
 監禁場所から連れ出された時に何とか逃げ出したものの、かなり無理をしたのでそれだけでも
母子共に危うかった筈だ。しかし、それも乗り越えた。
「両親の事故の時もそうだ」
 風邪で寝込んだせいで一緒に日課の買い物に行けず、そのため彼自身は事故に遭うのを
まぬがれた。
「こっちへ来てからの事件もな。まぁ、それは運に加えてあいつの実力とか性格とかもあっての
 結果だが・・・ 貧乏くじ引くってのは、ありゃ運というより性格だろう」
「・・・ 確かにそうやなー・・・」
 思わず納得してしまう。それから考えて、ふと付け加えた。
「じゃあ、あの事件探知機みたいなとことか、やたら何かヘンなもの呼ぶみたいなとこは
 どうなんかな」
「あー、それなー・・・」
 仕切りの向こうで苦笑する気配がする。
「今回の事故に巻き込まれたのはそっちかもなぁ。ま、そっちが効いてるとすれば、もう片方が
 効いてるってのを信じてみてもいいんじゃねぇか?」
「・・・・・・・・・」
 それも、いいかも知れない。
 ほんの少し気分がほぐれたせいか、その後多少はうとうとしながら時を過ごすことができた。――

 始発電車が動き出す頃、彼等は行動を再開した。
 昨日からのことを考え、今度は先に市外の方を回ってから市内に戻り、移動範囲を絞ろうと
いう事になった。
 遠羽市内に比べれば、さすがに市外のリストの数は少ない。
 三人は一緒に事務所を出てビジネスパークの駅に向かった。一つ北の駅で降りて、そこから
各自の分担地域に分かれる。女性陣には時間を見計らって誠司が電話を入れることになった。
 冬の夜明け前、曇った空はほとんど夜と変わらず、しかも厳しく冷え込んでいた。・・・・・・

 哲平が受け持ったリストの3番目は、小さめの個人病院だった。
 そこへ向かう頃には空も明るくなってきたが、寒さは一向に変わらず、それどころかついに
白いものが空中を舞いはじめた。
 身体を暖めようと小走りになると、白い粒が流れて壁をつくり、まるで前方への透明な通路が
できたようになる。哲平はその中を病院まで辿り着いた。
 入口の庇の下に立ってみると、淡い雪片は払うまでもなく、身体に触れる前に消えていた。
 中に入ると、既に朝の受付が始まっている窓口の中をのぞき込み、すっかり言い慣れてしまった
台詞で呼びかける。
「すんませーん、3日前、交通事故で運び込まれた友達を探してるんですがー」
 すると、窓口の奥から女性職員が一人振り返った。
「――ああ、さっき警察から連絡のあった方ね? こちらへどうぞ」
 ・・・こんな時間から、氷室が電話を入れてくれていたらしい。哲平はちょっと心の中で感謝した。
 案内されて、診察室とは反対側の廊下を通り、階段を上がる。
 職員は愛想が良くて話好きの女性らしく、にこにこと話しかけてきた。
「ちょうど良かったわねー。あの患者さん、今朝やっと目を覚ましたところなのよ」
「え?」
「入院した日にちょっとだけ意識があったんだけど、その時はお名前とか聞ける状態じゃ
 なくてねぇ。その後は眠ったままだったし、携帯も壊れちゃってたし、身分証とか連絡先のわかる
 もの何もお持ちじゃなかったから、さぞご家族が心配されてるだろうと思ってたのよ」
 ・・・これだけではまだわからない。哲平は、ほとんどただの習慣になった質問を口にした。
「――あの、もしかしてペンダント付けてへんかったですか。赤い石のぶら下がってる」
「ああ、あれね!」
 その返事を聞いて、胸が痛いような鼓動を打った。はじめて、反応があった・・・!
「若い男の人がつけてるにしてはちょっと珍しい感じだったのよねぇ。大丈夫よ、ちゃんと先生が
 貴重品入れに預かってくれてるから。・・・あら、それじゃ探してるお友達に間違いないかしら?」
「――――」
 廊下ですれ違った看護士に会釈をして、病室の前まで来る。
 そこの扉は開け放たれていて、中から話し声がしていた。
 医師らしい女性の声が何かを尋ね、付け加える看護士らしい声と、それに短く答える青年の
言葉が続く。
(あ・・・・・・っ!)
「失礼します。先生、警察からお電話のあった方がお見えですけど」
 職員が声をかけた。医師の声が返ってくる。
「どうぞー」
 動悸がする。足も少し震えていた。思わず拳を握りしめる。
 促されて、病室の中へ入った。
 振り向いた女性医師と看護士とがこちらを認め、患者が見えるように横へ退いてくれる。
 そこに。

 点滴や様々な機器に囲まれたベッドの上で、身体のあちこちを白い包帯に包まれた姿がある。
 わずかに動かした視線がこちらを向いた。
 長いこと眠っていたせいで少し掠れた声が、彼の名前を呼ぶ。

「・・・ 哲平・・・・・・・・?」

 ―――― もしかしたら、失くしてしまったかも知れないとおそれていた、だいじなもの。
 でも、それはいまここに ――――

(神様 ・・・・・・・!!)
 ろくに信じた事もないのに、ありったけ感謝したくなった。
「・・・哲平?」
 再び声をかけられて、ようやく気を取り直す。
「あ、ああ・・・・・・」
 ゆっくりとベッドの傍へ歩み寄り、点滴のため布団の外に出されている片手に、そっと触れてみた。

「―――― 探したで、恭ちゃん」



                                     【epilogueへ】



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送