その日の午後、遠羽市の北の外れ近くにある小さな繁華街に哲平とタカは足を踏み入れた。
 伊佐山から聞いた話では、恭介の財布はこの辺りで他の数個と共に裏路地に落ちていたという
事だった。
 ・・・ここへ来る前、二人は一度誠司と合流して恭介の財布を受け取ったのだが、その時誠司は
哲平の顔をちらっと見てこう言ったものだった。
「どうだ、思いっきり怒鳴って少しは気が済んだか?」
 タカが、それ計算済みッスか大将、と疲れた様子でこっそり呟いた。
「近所から騒音の苦情が出たらしくて、おまわりさん来たんスよ。でも伊佐山のオッサンの顔見たら
 嫌そうに帰っちゃいましたが」
「お疲れさん」
「・・・まぁ、少し頭冷えたわ。テキ捕まえんのにあまり熱くなっとぉとしくじるからな」
 目を逸らした哲平の表情は、確かに事務所を出た時よりは少しましになっている。
「じゃ、俺は資料館直行して逆行するルートで回ってくっから、お前さん達そっちの方頼むわ」
 片手を上げて誠司は去って行った。・・・
 ――この場所は、恭介の向かったルート自体からは外れている。なので、おそらく「現場」が
ここではないのは見当がついた。状況からして、
『多分、カツアゲやスリの元締になるヤツがそこら辺りにいて、現金だけ抜き取った後まとめて
 捨てたんじゃろう』
という伊佐山の言葉に哲平も同意見だった。
 問題は、そいつらが何処でどうやって財布を手に入れたかなのだ。
 恭介と接触したはずの、その相手に用がある――
「・・・・・・タカ、なんでついて来た」
 発見場所の路地で、後ろ向きのまま哲平は問いかけた。
「――恭さんはオレの生命の恩人ッスよ。それにあの爆弾の時だって一緒に命(タマ)張った
 仲なんです。あの人になんかした連中がいるんなら、放っとけるわけがないじゃないッスか」
 温度の低い哲平の声に内心かなり退きかけながらも、タカはそう言い張った。
「・・・・・・・・・・」
 哲平は足元の側溝を見つめていた。ドブの中にたくさんのゴミが浮かんでいる。これまでここに
捨てられた物たちの中身らしいが、この様子では例えさらえたとしても、再び使いものには
なりそうもなかった。
「・・・オレが言うまで手ェ出すなよ。聞かなあかん事があるんや」
「うス」
 そうして、背を向けたまま歩き出す。
 路地を出て通りを進み、古びたゲーセンやパチンコ屋が入り混じる薄暗い印象の一角へ
向かってゆく。
『氷室から聞いとる。指紋が出たそうだな。キダと呼ばれとるヤツだが、最近年下の連中から
 自分のグループを作ってタチの良くない事を始めたという噂がある。確かに縄張りもその辺り
 じゃな。まだ枕ヶ崎にまで出入りするようにはなっとらん筈じゃし、本格的にマズい連中との
 付き合いもないから、今のうちに何とか止めんといかんと思っとったところだ』
 そうして伊佐山が渋々ながら見せてくれたその連中の写真のコピーを、哲平はしっかりと
記憶に刻みつけていた。
 通りの奥まった一角、飲み屋街との境目近くで二人は足を止めた。
 放置自転車の群れの間をすり抜け、酒場の裏塀が隣り合っている狭い道、というよりは
隙間に身体をすべり込ませる。
 そうすると、もう表から二人の姿は見えないが、道の中からは通りの様子がうかがえる。
そこで、彼等は黙ったまましばらく待った。
 ――目的の連中は思ったより早く現れた。
 崩れた風体の若い男達の中に、どうも場違いな、きちんと学校の制服を着込んだ少年達が
2、3人混じっている。傍目にもびくびくした様子で仕方なしに連れられて行くようだ。
 その一行が通り過ぎるのを見計らってから、哲平とタカは表通りに戻った。距離をおいて
気付かれないよう後をつける。
 先刻の路地が見えてきたところで、タカがすっと傍を離れた。左へ大きく回り込む道の方へ
向かう。
 一方、哲平はそのまま一行が路地の中に入って行くのを見届け、間を置いてからゆっくりと
近寄って行った。
「・・・ンだとぉ、たったコレっぽっちで済むと思ってンのかぁ!?」
「す、すみません・・・ でも、どうしてもそれだけしか・・・」
 そこには予想通りの光景が展開されていた。
 制服の少年達を男達が取り囲み、時折小突き回している。囲んでいる側の一人は、彼等から
取り上げたとおぼしい幾らかの現金を握っていた。
「もう親にも怪しまれてきちゃって・・・ どこからも金が引き出せないようにされてるんです」
「じゃア、お前らの持ちもん売っ払ってこいや」
「そ、それも、もうバレちゃって・・・ 部屋の物があんまりなくなるからって」
「グズグズ言ってんじゃねェ!!」
 男達の一人が、端にいた制服少年の足を蹴った。
「特にてめェ! 昨日も今日も空ッケツじゃねェか。なめてんのかくらァ!! その前だって
 ロクに納めてねーだろォ!? 利子ついてんだよ、さっさと10倍は持って来ねェと
 許さねーからな!!」
 蹴られた少年は泣き声をあげた。
「そ、そんなぁ!? 無理です、一昨日のだってあれがやっとで――」
 そこまで聞いて、哲平は路地の中へ踏み出した。
「・・・・・・お前らがキダの舎弟やな」
「な、なんだてめェ!? ――・・・」
 いきなり声を掛けられて喚き返そうとした男達だが、哲平の殺気に呑まれて声を失ってしまう。
 さらに一歩前へ出ると、あっという間に意地がくじけて逃げ腰になり、反対側へ走り出そうとした。
しかし、そちらは無言で現れたタカが道を塞ぐ。普段仲間内に見せている気のいい青年の表情
とは全く違う、「枕ヶ崎の住人」としての貌を向けた。
「う・・・・・・」
「聞きたい事がある。これを持って来たんはどいつや」
 哲平は袋に入った財布を掲げた。
 男達は訳がわからないという顔をした。しかし、制服の少年達が先刻蹴られた仲間の方へ
一斉に視線を走らせ、当の少年は真っ青になった。
「あ・・・・・・」
「――お前か。ちょお話聞かしてもらおか」
 哲平の注意が逸れたと見て、逃げ出したそうな顔をした他の連中だが、タカが視線をやると
大人しく縮こまった。
 そちらには構わず、哲平は問題の少年を見据えた。
「これは、どないしたんや」
「・・・・・・・・・・」
 少年は震えるばかりで答えない。哲平は言葉を重ねた。
「殴ったんか、それともなんかで刺したんか」
「!! ちっ、違っ・・・! ボクは、拾っただけで・・・・・・!」
 自分で相手を襲って奪ったのかと問われている事にようやく気が付き、反射的にだが
言葉が出るようになったらしい。
「拾ったて、何処で」
「学校の前の道路・・・ どうしても“上納金”の工面ができなくて・・・ どうしようかと思ってたら、
 校門の外が騒ぎになってて――」
「・・・・・・・・・・」
「ボクはちらっとしか見えなかったけど、すごい勢いで車が走ってって、その後に何人か
 ひとが・・・ 倒れてた・・・」
「何人か? そん中に、ハタチ過ぎくらいのにーさんがおらんかったか」
「怖くて顔とかよく見なかったから、わからない・・・ 他にもケガして座り込んでる人なんかも
 いたし・・・」
「んで、この財布は」
 急に少年が口ごもる。俯いた顔のまま、さらに目を逸らして視線を避けたい様子が見える。
 しかし哲平は赦さなかった。
「倒れてんのをええことに、持ちもんから抜いたんか」
「そんなことしてないっ!! 落ちてたんだ、道に・・・ !! だ、たから・・・ どうしても・・・」
 少年は肩を落とした。
「誰かを脅かしたりはできないけど・・・ 拾うだけなら――地面に血がいっぱい流れてたし、
 それにも付いてて怖かった・・・ でも、お金持っていかないと、ボクが殺されるかも・・・
 だから、目をつぶって、手だけ伸ばして、それだけ拾って・・・」
「同んなじ事じゃねぇか、この馬鹿野郎!!」
 タカが吐きすてた。
「てめぇは車に轢かれた人間から金を盗んだんだ」
 少年は身体を強張らせたまま、泣き始めた。
 哲平は何も言わなかった。ただ、目の光がいっそう暗く、強くなり、拳は白く見えるほど
握り締められていた。
「――学校の前、言うたな。それは何処や」
 うなだれた少年が答える前に、耳障りながなり声が割って入った。
「なんだなんだお前らァ、何やってンだぁ!? ・・・ん? てめェらはなンだ!?」
 首にも腰にもチェーンをじゃらじゃらいわせた、だらしない服装の男が路地に入って来た。
「き、キダさあん!!」
 途端に、それまで大人しくしていた連中が騒ぎ出す。
「こっ、こいつらが・・・!」
「黙っとれ」
 決して大きくはないのに、身体に響くような声がその場を圧した。一瞬であたりが静まりかえる。
「今、大事な話聞いとるんや。邪魔すなや」
 哲平はゆっくり男の方へ向き直った。
 男の方はまだ明るい時間だというのに酒臭い息を吐きながら、
「ンだとぉテメェ、何様だと思って・・・・・!」
 言いかけて、哲平の顔を見るなり、それまで顔にさしていたアルコールの赤みがさーっと
引いていく。
「と・・・ 遠羽浜の、白石――!!」
 哲平はすっと目を細めた。
「ほぉ? オレの名前知っとるんか」
「キダさん・・・・・・?」
 舎弟連中がその様子を見て呆気にとられている。
「オレは今、虫の居所サイアクなんや。邪魔するつもりなら覚悟決めてからにせえよ」
「なっ・・・ なんで、浜の奴がこんなとこまで・・・」
「――てめぇがつまらん金集めなんかしやがるからだ」
 タカがぼそっと呟く。
「誰にツナギつけるつもりだったか知らんが、こうなったらもうすっかり諦めるんだな」
「ち、畜生・・・・・・!!」
 キダはいきなりポケットからナイフを取り出した。刃物を見て制服の少年達が悲鳴を上げる。
 哲平の表情は変わらない。
 刃を振りかざしてキダが突っ込んでくる。
「遅ぇ」
 タカが低く評する。
「それに酒でふらついてる。全然白石さんの相手じゃねぇよ」
 その通りだった。
 哲平は軽く身体をひらいてナイフをかわす。同時に刃を持った腕を掴み、そのまま相手の
勢いを利用して思い切り壁に叩きつけた。身体ごと顔面から激突した相手が崩れ落ちる前に
落ちた刃物はドブの中へ蹴りこんでおく。
「――白石、そこまでにしとけ」
 後ろからおなじみの大声がかかった。
 数人の警察官を従えた伊佐山がそこに立っていた。
「オッサン・・・」
 哲平は眉を寄せた。
 警官達は哲平とタカには構わず、他の連中や倒れたキダの方へ駆け寄って行く。あらかじめ
指示されていたようだった。
「言うとくけど、これは正当防衛やぞ。オレらはただこいつらに話聞いとっただけやからな」
 珍しくあまり音を立てずに現れた伊佐山は、哲平に向かって手を振った。
「わかっとるわい。お前にしてはよう我慢した。・・・ここは引き受けるから、早う行け」
「まだこっちの話済んでへんし」
 哲平が言い募るのに、伊佐山はちらっと少年達の方に目をやった。
「あの制服は遠羽大付属北校じゃ。そこの大通りを北に出て、市境に向かって1キロくらいの
 所にある」
「わかった。・・・貸し借りは無しやからな」
 タカを促して路地を出て行こうとする哲平の背に、伊佐山はためらいがちな声を掛けた。
「白石・・・ 今の話じゃがな。持ち物が無いせいで身元確認ができん、関係者への連絡が
 行かんというなら、被害者本人がまだ身元を喋っとらんとしか思えん。・・・あの小僧が
 わざわざ黙っとる理由なぞありゃせんのだから、つまり・・・」
「・・・・・・」
 哲平は振り向かずに黙って足を止めている。
「・・・喋れない状態になっとる、という事かもしれん。――それは、覚えとけ」
 返事の代わりに、弾かれるように走り出した二人に向かって、伊佐山はもう一言呼びかけた。
「氷室には伝えとく。無茶するんじゃないぞ!!――」

 走りながら携帯を取り出し、ボタンを押す。呼び出し音が切れるなり相手の声も確かめずに
叫ぶ。
「大将、交通事故や! 一昨日の夕方、付属北校前! 暴走車に何人かはねられて、そん中に
 おったらしいて!!」
 そこまで一気に伝え、息を整える。
「救急車の行き先てどこに聞けばええんや!?」
『警察の交通課か消防本部だな・・・ 北校前か』
 電話の向こうで誠司が舌打ちする。
『やっぱりそっちだったか。厄介だな。その辺りだと遠羽と隣市とどっちに運ばれたか微妙に
 なってくるぞ。被害者が複数いたんだろう? しかも、一昨日だ』
「なんかまずいんか?」
『例の放火事件だよ。おそらく市内の全救急車がフル稼働してるぞ。病院だってかなりの数
 回ってるだろう』
「あ・・・・・・・!」
『あいつが運ばれた所を割り出すには多分、かなりの時間がかかるな。下手すりゃ病院
 総当りだ』
 話している間にも日が沈み、辺りの景色が暗さを増してくる。
 事後現場の学校前の道路に差しかかる頃には、ほとんど夜のような様子になっていた。
『俺も使えそうな情報源には全員声かけてみるわ。お前さん達、しばらくその辺で適当に動いてて
 くれるか? 事務所のFAXで病院リスト受け取るから、それを京香にメールで送ってもらう。
 手分けしてあたろう』
「わかった。こっちも現場に着いたとこや。誰かに話聞けへんかやってみる。ほな」
『・・・間違って伊佐山さん呼ばれんようにな』
 そう言って電話は切れた。
「あ、そぉか・・・」
 立ち止まって携帯をしまい込む。
 生徒達が脅喝にあっていたという事は、噂ぐらいは流れているだろうし学校側でも警戒している
かも知れない。自分達の風体で生徒達に声を掛けるのはまずいことになりそうだった。そうで
なくとも知らない一般市民と普通に話すのは難しいのに。
(・・・・・これだから、普通の街中の聞き込みは恭ちゃんしかできへんかったもんなー・・・)
 それでも薄暗がりを幸い、強引に誰かに話を聞けないかとあたりを見回してみる。
 道路の両側はどちらも学校の敷地になっており、金網の向こうに校庭やグラウンドが広がって
いる。門はどこか先の方らしく、ここからでは入り口はみつからない。
 下校時間をかなり過ぎているせいか、それとも事故や事件のせいで早く帰るように言われて
いるのか、生徒の姿も見当たらなかった。こんな場所だけに、学校関係者以外の通行人も
少ないようだ。
(・・・・・あれ?)
 目の端に人影が映ったのでそちらを向いたが、手前の角へ入ってしまったのか、姿がはっきり
しないうちに消えてしまった。
 一瞬こちらへの視線を感じたのだが、外見で敬遠されてしまったのだろうか。
(にしては、結構鋭い感じがしたと思うたんやけど・・・・・・ 気のせいか)
 その時、一方の金網の向こう、校庭の奥から、生徒のものらしい話し声が途切れ途切れに
聞こえてきた。渡り廊下のコンクリートにでも響いているらしい。
「そうそう、・・・ちゃんの・・・がね・・・・・・」
「えー、・・・・って、一昨日のー? 大変だねー。・・・・・たの?」
「もう、・・・・・ったら、・・・・・でさー、すごく・・・いちゃって」
「・・・から、・・・・・・なの? ・・・・・」
(あ!)
 だが、生徒達は反対側に行ってしまったらしく、声は遠くなってしまった。
「あれ、それっぽいな。――今の子達つかまえられへんかな」
「・・・白石さん、まずいッスよ。なんか見回りみたいのが来ます」
 タカが振り向いて言う。
「げ・・・・・」
 腕章をつけた数人の大人のグループが、懐中電灯を手に金網沿いの道をこちらへ向かって
歩いて来る。顔ぶれから察するに、PTAか何かの自主活動らしい。
 相手が警官ならまだしも、一般市民と押し問答になるとかえって面倒だ。
「しゃあない、移動しよ。京香ねーさんからのメール待ちや」
「うス」
 巡回を避けて、さりげなく幹道の方へ歩き出す。
 いくらも行かないうちにメールの着信音が鳴った。
「おっ」
「早いッスね」
と二人で携帯画面を覗き込んで、思わず絶句する。そこへ今度は電話の呼び出し音が鳴った。
 氷室からだった。
『おう、スマン。救急搬送リストがなぁ、例の火事と他のヤツが今、区別つかん状態でな』
「・・・だからこんな沢山なんか」
『まぁ、ちびちゃんにも中間チェック入れてもらって、消せる奴はまた連絡するから。病院の方
 にも身内探してる連中が行くって話はできるだけ通しとくわ。で、とりあえず片っ端から見に行って
 もらうしかないんだけど』
「――なんぼでも行ったるわ。他に手があらへんのやろ」
『このあと伊佐山さんの方から貰うリストも送るからもっと増えるよ』
「・・・徹夜になりそうッスね」
「病院て24時間やってた、よな」
『逆に、火事の被害者まわりで知り合い探してる人もおんなじような事やってるだろうから、お前
 さん達が聞いて回っても怪しまれたりはしないと思うけど』
「――わかった。ほな、行動開始や」
 切った後、タカと携帯をつき合わせてリストを分担する。
「なんか、ホントに市内の病院ほとんど全部って勢いスね」
「水波署の分て、そっちが来たら今度は市外まで行きそうやな」
 簡単に打ち合わせをすると、二人はその場で別れた。
「ほな、そっちは頼むで」
「うス! 白石さんも気を付けて」
 誠司も少し離れた場所で同じように動き出している筈だった。
 ・・・・・・・・ここまで来た。
(もう少し。あと、もう少しや)
 そう信じて、夜の街を走り出す。――

                                     【2日目 終了】

     *         *         *         *         *         *

 「あと、1日」
 ひそかにつぶやく声がある。
 その視線は、傍らの動かない影に注がれている。

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