「――はようございます〜」
 疲れの残る声で挨拶をしながら、哲平は居間の戸を開けた。
「ご苦労だったな。やはり成美は荒れたか」
 久蔵はその様子を見やって、ねぎらいの言葉をかけた。
 朝食の並んでいる卓の前に座り込みながら哲平がこたえる。
「久しぶりに大荒れでしたわ。けど、まぁ」
 当然のことながら柏木邸の奥にある成美の部屋の戸は閉まったままだ。例によって昼までは起きて
来ないだろう。
「ふむ。暴れる元気はあるか・・・」
 まだ事態の深刻度がどれくらいか分からないせいか、発作を起こすほどではないようだ。それを
思えば暴れてくれている方がまし、とは云えた。・・・被害甚大だが。
 しかし、成美にとって唯一人残された、血の繋がっている家族である恭介に万一の事があったら――
(か、考えない考えない! 悪い事考えると“呼ぶ”っちゅうし)
 慌てて想像を振り払い、飯をかき込む。
「ご隠居、オレ今日はこれから鳴海の大将のとこに行く約束がありますんで、出かけてきます」
「ああ、こちらは構わないから行って来なさい」
「はい、ありがとうございます」
 “食卓の盛り上げ役”を自任する哲平も、今朝はさすがに口数が少ない。
 食事を済ませて退出すると、自室に戻って念のため電話を確かめた。
 相変わらずのテープ応答を聞いてから、次にメールをチェックする。と――
「あ」

 送信者:奈々子
 件名:どうしたのかな?
 見習い全然来ないよ。それにメールの返事もくれないんだけど、なんでー?

「まったく、なんでやろな・・・」
 画面に呟きで返事をして、哲平はメールを閉じた。

 鳴海探偵事務所のビル前に着くと、既にブラインドは上がっていた。ので、そのまま階段を昇る。
「お邪魔しますー」
 声をかけて入ると、京香も誠司も中にいた。
「よぉ、朝からご苦労さん」
 ソファから誠司が振り返る。
「どーも」
 応えて、向かい側のソファに腰を下ろす。
「おはよう、白石くん。お茶でいい?」
 幾分元気がない様子に見える京香が、給湯室に向かいながら尋ねてくる。
「あ、京香ねーさん、お構いなく」
「京香ちゃーん、俺、コーヒー。ブラックでー」
「お父さんはさっき家で飲んできたばかりでしょ、もう」
 文句を言いながらも結局三人分のお茶とコーヒーを持ってきたところで、情報交換会が始まった。
「この周辺で恭介が見かけられてるのは一昨日のサイバリアが最後、そのあと戻って来たところを
 見た言う話は無し。こっちでわかったのはそんくらいですわ。あと、寄り道先の資料館がここ」
 メモを開いて見せる。
 それに目をやって誠司が口を開いた。
「ああ、助かるわ。昨日のお客さん、実ははっきりした場所知らなくてさあ。弟子にも大雑把な事しか
 教えてなかったらしいから」
「ていうたら、もしかして恭ちゃんまだそこまで行ってへんかも・・・?」
「確認が必要だけどな」
「だとしたら、その調査先と資料館の間の何処かで何かあったっちゅう事か」
「その辺りで事故とか事件とかの通報がなかったかどうか、所轄からちょいと聞いてみようかと
 思ったんだけどさぁ・・・」
 誠司が頭をかいた。
 いくら元警察官とはいえ、今は民間人、しかも所属ではなかった署にまで顔利くのかこのオッサン、
と哲平はひそかに思う。
「タイミング悪くてなあ。一昨日の火事が、ここんとこの連続放火と同じヤツの仕業らしいってんで
 バタバタしててさ。細かい話が聞けなかった」
「ああ、そういやニュースでやってた・・・ 大勢ケガ人が出たて、あれそうやったんか。確か犯人まだ
 捕まっとらんのやろ」
「隣の市から遠羽市内まで現場が拡がって来ててさ、遠羽署や水波署からも人が行ってるんだよ。
 で、知った顔につかまっちゃってな」
「・・・それで昨夜遅かったの?」
 京香が呆れ声を出す。
 この際、誠司の実績が足を引っ張って、現場の後輩達に泣きつかれていたという事らしい。
「・・・まぁ、顔つないどけば後でいろいろ役に立つからな」
 呟いてみせる誠司を見据えて、哲平は訊いた。
「大将も、探すとしたら隣町やて思うとるんやな」
「この辺はもうお前さんがつぶしたろ」
 事もなげに誠司が応え、カップに口をつける。
「・・・そやな。したら、今日は――」
 言いかけたところでデスクの電話が鳴った。
 京香がさっと立ち上がって取りに行く。
「はい、鳴海探偵事務所です。・・・おはようございます。氷室さん、『ちびちゃん』はやめて下さ
 いってば。 ・・・ええ、います。今かわりますね」
 入れ替わりに立ちながら、誠司が
「裕ちゃんかぁ?」
と言った声が聞こえたらしく、向こう側から
『この歳のオジサンつかまえて“ちゃん”付けはないでしょう、鳴海さん・・・』
 ぼやく声が返ってきた。
「俺より若いだろ」
と受け流した後は、どうやら昨夜の続きらしい話に入っていく。
「・・・真神くんね」
 ぽつりと、ソファに戻って来た京香が言った。
「昨日、ペンダントして行ってたんですって・・・」
「えっ!?」
 電話の内容があまり関係なさそうだとみて少しいら立ち始めていた哲平は、慌てて注意を
引き戻した。
「・・・て、例の、形見の?」
「ええ。それでね、話し相手の人が珍しがって、アンティークの話になったんですって。相手の人も
 実は結構骨董趣味のある人で、それならこんな所がありますよって資料館紹介してくれたみたい
 なの」
「・・・・・・」
 成美はいつも身に着けているが、恭介の方は普段ペンダントをしていなかった。それは仕事柄の
 違いという事もあるし、実は恭介の持っている方がかなりわけありの品だったりするので、その用心
 の為もある。
 着けていない時は、家の中の少々工夫した場所に保管している筈だった。
『・・・ここなんだけどさ、うちの両親とじいさんの位牌と一緒にしまってあるんだ』
(あ・・・・・・)
 以前、相棒がその場所を見せてくれた時の事がよみがえる。
『普通、仏壇に大事な物しまっとくって定番だろ。泥棒とかに一番狙われやすいけど、うちはこんな
 だからさ、わかりにくいかと思って』
『手提げ金庫とかに入れたら・・・ かえって目立ってまうか』
『この家にそんなもの置いてどうするんだよ。高価いもの入ってますって宣伝してるようなもんじゃ
 ないか』
『ねーさんとこの店で預かっててもらうてできへんの?』
『・・・俺もそう思ったんだけどさ。母さんのこれは絶対俺が持ってろって、成美さん聞いてくれないん
 だよ』
(位牌・・・ そうか)
「・・・命日や」
「え?」
「恭ちゃん、ずっとしまっとくのもなんやから、何かある時は別として、毎月命日にペンダント着ける
 ようにするて前に言うとったんや」
「あ・・・ それで」
 京香がかるく息を呑む。
 その後ろから誠司の声が響いてきた。
「――ウチの弟子ねぇ。いま留守にしてるけど、なんか用?」
 思わずソファの二人が振り返る。
「うん・・・ ふーん? ・・・ それ、書類一式と一緒にこっちへ持ってきてくれるかぁ? ――別に俺が
 行ってもいいんだけど」
 電話の向こうで、それだけは勘弁して下さい、とかいった氷室の困っている声がしている。
「じゃあ頼むわ。こっちはみんなで待ってるからさ」
『みんな?』
「ワトスン君とうちの京香ちゃん。じゃ、よろしく」
 そう言って、誠司はさっさと電話を切ってしまう。
 そして、自分の方を見ている二人に向かってにやりとわらって見せた。
「裕ちゃんがいいもの持って来てくれるってさ」

 氷室刑事が鳴海探偵事務所に到着したのは、それから20分ほど後だった。
「どうも、お揃いで」
という挨拶をして入ってくると、誠司の隣に席を占める。少し恨めしそうに元上司に向かって、
「人使いが荒いですよ、鳴海さん・・・」
「だって、お前んとこの課長ってあいつだろ。俺は全然構わんけど、お前が来ないでくれって頼んだ
 んじゃねぇか」
「わかってますよ。だから持ってきたんでしょうが」
 そのやり取りを眺めながら、哲平はつい同情してしまった。
(大将の現役時代って、氷室のオッサンこの調子でずっと苦労してたんやろなぁ)
 お茶を持ってきた京香がたしなめる。
「お父さん、氷室さんにあまり無茶言わないでよ。それで・・・」
「おう、じゃ、お土産見せて」
と誠司に言われ、渋い顔で氷室が取り出したものは透明な袋に入っていた。
「――これなんですがね」
 見覚えのある、ウォレット型の財布。
 反射的に哲平が叫ぶ。
「そ、それっ、恭介の・・・・・・っ!!」
「中身ほとんど空だけどね」
「氷室さん、どこからそれ・・・?」
 京香がすがるような目で尋ねる。
「んー、伊佐山さんがね。昨日水波署に回収されてきた遺失物の中から見つけたんだって。鳴海
 探偵事務所の名刺が入ってんの見えたんで、知り合いだから連絡するって言って」
「遺失物――」
「受け渡しは本人確認が要るからね、最初は小僧を直接呼ぼうとしてたらしいけど、繋がらないから
 ってさ。こっちに教えてくれたんだよ。それにほら、これ・・・だろ?」
「・・・・・・・・・・」
 誠司は煙草を取り出しながら、袋をじっと見つめている。
 哲平も、おそらく京香も気になってならない「その」部分。
 端の方に滲んでいる、黒っぽい染みの色・・・・・・
「これ、確かめたか」
「・・・こっそり鑑識のおともだちに紛れ込ませてもらいました。一応、A型だそうです」
「人血?」
「ええ。さすがにDNA検査までは頼めませんでしたが。その代わり、指紋の――・・・」
 全部は聞いていなかった。哲平は音を立てて立ち上がっていた。
「・・・伊佐山のオッサンどこや? 署内か」
「この時間はその筈だけどね」
「待て待て。ワトスン君、その前にさっきのメモ置いてって。で、氷室。お前は電話してやって」
「はあ」
「後で説明すっから。・・・あの人がいつも弟子と待ち合わせてたの、上遠羽だっけ? そっちへ行き
 な。そうすりゃ多少怒鳴り合いになっても他署の管轄内で捕まる羽目にはならんだろ」
「上遠羽やな。わかった」
 言うなり、哲平は事務所から飛び出して行く。
(まだや。まだ、何も決まったわけやない――!!)
 身体の芯が震えそうなのを抑え、自分につよく言い聞かせながら。

 ・・・それを見送った後、事務所では氷室が呟いていた。
「んー、あの勢いだとフォローが必要かなぁ」
「この時間じゃ女王様出て来られないけど、誰かアテある?」
と誠司。
「肝心の手綱がいないんじゃ、栞紐くらいかなぁ」
 答えながら、氷室は電話を2本かける。
 1本は水波署の伊佐山に。 
 そしてもう1本は・・・
『ちょっ、待って下さいよー!? オレが白石さんを止められる訳なんかないじゃないッスか!!』
「とりあえず、くっついてくだけでいいからさ」
『勘弁して下さいって!! 第一、よりによって今回恭さんの事っしょ!? 激ヤバじゃないスか、
 誰も止められませんよそんなもん。怖くて傍にも寄れませんってー!!』
「・・・放っとくと伊佐山さんと関西弁の小僧と隣の所轄署で大モメになるんじゃないかなぁ」
『氷室さん、ひどいッスよぉ。・・・わかった、わかりましたよ。上遠羽ですね、行ってきます!!』
「人数連れてくと出入りになっちゃうから、できるだけ一人でねー」
 あああ、もう、とか呻く声がして電話は切れた。
「4号くんだっけ? それ」
 テーブルに向かって氷室の持ってきた書類に書き込みながら、誠司が尋ねる。
「そうです。嬢ちゃんの手下仲間らしいし。・・・ところで鳴海さん、説明とやらを伺いたいんですがね」
「あー、俺これ書いちゃうから。京香ぁ、今までのいきさつこいつに話してやってくれる?」
 話を振られた京香は、目を丸くして父親の手元を見つめていた。
「お父さん、それって『引取人本人が記入の上、署名捺印』って書いてあるけど・・・」
「ちゃんと弟子の字で書いてるから大丈夫。ハンコはあいつの三文判、デスクの引き出しに
 預かってるだろ?」
 ・・・それは文書偽造になるのでは。
 と後の二人は思ったが、口には出さなかった。
 そして京香の説明が終わる頃、誠司も遺失物の受取書類を書き上げて、ひらひらと振ってみせた。
「じゃ、できたから持って帰って係りに渡しといて。で、こっちはもらっとくな」
と袋入りの財布を示す。
「いいですけど・・・」
 氷室は眉を寄せる。
「どうします、こうなったら捜索願出してもらってもいいんじゃないかと思いますが。その方がこっちも
 動く口実ができるし」
「いや、まだだ。おそらく今日の結果次第だな。また連絡すっから、それまでは話だけ心得といて
 くれるか」
「・・・わかりました」

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