柏木邸の廊下に電話の呼び出し音が響いたのは、もう昼近かった。
 TVで昨日あった大火事のローカルニュースを見ていた哲平は、立ち上がって廊下へ出た。
「へいへいっと・・・ はい、柏木です」
 受話器を取り上げると、聞き慣れた声が呼びかけてきた。
『もしもし? こんにちは、京香です。白石くん?』
「あ、京香ねーさん。どーも」
『あ、あのね、真神くん今日そちらにお邪魔してない?』
「恭ちゃんですか? いや、こっちには」
『昨日は?』
「――なんかありました? オレ、昨日は一日お使いでずっと出てたんで」
 すると、予想もしない方向から台詞がとんできた。
『・・・ ねぇ、今、成美ってあなた達に何か探させてるの?』
「えっ!? いや、ねーさんそれは」
 不意打ちをくらって焦る哲平。
『やっぱりそうなのね。何を探してるんですって?』
「・・・ えー、その・・ “運命をはかる天秤” があるらしいとかで」
『なんなのそれは!?』
 予想通りの反応に身をすくめる。
『そんな物の為に寒い中を出歩かせてるわけっ!? もう・・・ 白石くん、悪いけど頼んでいい?』
「はい?」
 幸いなことに、風向きが変わってくれるらしい。
『あのね、真神くんがまだ来てないの。事務所に何も連絡がないんだけど、こっちから掛けると
 おうちは留守電になってて、携帯も繋がらないのよ』
 そう聞いて、昨夜相棒に出したメールの返事がまだ来ていない事が一瞬頭をよぎった。
『もしかしたら熱でも出して、電話に出られないくらい具合が悪いかも知れないでしょ? 見に行って
 あげてもらえないかしら』
「あ、なるほど・・・ ちょっと待ってください」
 哲平は受話器を横に置いて居間へ出向き、主に伺いをたてた。
「ご隠居、すみません。京香ねーさんから電話で、恭介の家の様子を見てきて欲しいと」
「真神くんがどうかしたのかね」
 湯呑みを置いて久蔵が顔を向ける。
「まだ事務所に顔を出してないそうです。電話に出ないから、寝込んでたりしてもいかんからって」
「ふむ・・・ 一人暮らしだとそういう心配はあるな。ああ、行ってあげなさい」
「はい、ありがとうございます」
 廊下に戻る。
「・・・あ、お待たせしてすんません。じゃオレ、行ってきますんで」
『そう? ありがとう。ごめんなさいね、ご隠居さんにもよろしく言っておいてね』
「わかりました。ほな、また後で」
 電話を切って部屋に戻り、上着を取ってくる。居間に挨拶をしてから早速玄関を出た。
(こんだけ大騒ぎして只の寝坊やったら恭ちゃん可哀そうやなー)
 ・・・だが、そうではない気がした。
 相棒が “よく当たる” と評価する、自分の “悪い予感”。
 この時ばかりは外れて欲しかった。

 東公園を抜けて恭介のマンションを目指す。
 真冬の曇り陽でベンチには人影もなく、歩いている人もまばらだ。
 途中で念のため携帯と部屋の両方を呼び出してみたが、やはりどちらも繋がらなかった。
 ――やがて目的地に着き、周囲を見回してみたが特に変わった様子はない。
 階段を昇り、相棒の部屋の前に立つ。
 まずはドアホンを鳴らしてみる・・・
 返事はない。
 扉を軽く叩きながら声をかける。
「恭ちゃん、おるかー?」
 ・・・応答なし。
「――悪いけどちょお開けるでー」
 低い声で言いながらカギを取り出す。
 柏木邸に置いてあるスペアキーだ。この部屋は夏の事件で一度、何者かに侵入されたことが
あってからカギを取り替えた。ついでにその時柏木邸にも予備を置くようになったのだ。
 使うのはもっぱら、酒で潰れた相棒を担ぎ込む時だったのだが・・・。
 扉を開けると、冷えた空気が哲平を迎えた。
 ひと気のない部屋は、きちんと片付いているせいで余計に温度を下げている感じがする。しかし・・・
(冷え過ぎやな)
 夜か朝、少しでも住人がエアコンをつけていれば、ここまで室温は低くならない筈だった。
 ブラインドは開いていて、昨夜ベッドを使ったような形跡はない。ベッドサイドにある携帯の充電器は
空だった。
 机やテーブルの上は整頓されていて、特に変わった物は置いていない。
 念のため失礼して留守電を再生してみた。今朝、京香が何回かかけてきたものの他には何も
入っていない。
 きれいな台所をのぞいてから奥の部屋を見てみたが、冬になってからいつも着て出ているコートの
ハンガーが空いていた。
 ――そこまで見てとって、哲平は携帯を取りあげた。メモリから鳴海探偵事務所のナンバーを
呼び出す・・・。
『もしもし!?』
 とびつくように応えた京香の声に向かって、哲平は気のすすまない事実を伝えた。
「京香ねーさん・・・ 恭ちゃん、昨日から帰ってないみたいや」

 マンションを出たあと、どう切り出したものか悩みながら哲平はセクンドゥムへの道をたどった。
「ちわーす・・・」
 小さな声で挨拶しながら扉を開ける。
 すると、店主は奥の方で黒猫のヘルシングに昼飯を与えているところだった。
 成美は振り返ってちょっと不機嫌そうな顔をしたが、すぐに気を変えたらしい。
「あら1号、ちょうど良かった。ヘルちゃんのご飯が切れたの、買ってきて」
「へーい」
 返事に何を感じ取ったのか、目を細めてこちらを見つめる。
「・・・ あんた、どうかしたの」
(げっ、なんでねーさんこないに鋭いんや)
 内心おおいに焦りながら、哲平は努めていつもの調子を装った。
「へ? いや、何も。・・・ そうそう、例の天秤の件、恭ちゃんから電話ありました?」
「なにそれ。聞いてないわよ」
 ということは、やはりここにも連絡はなかったわけだ。
「そーかー、じゃ空振りやったんかなー。どっかの資料館見つけた言うてたのに」
 しかし成美の視線は揺るがない。
「恭介がどうかしたの」
「あ、まだ話きてないなら別に・・・」
「1号」
 厳しい声がとんできて、思わず直立不動になってしまう。
「はっ、はい!」
「言いなさい」
(こら、あかんわ・・・・・・)
 観念して白状する。
「――恭ちゃん、昨日の夕方から帰っとらんみたいで・・・ 事務所にも連絡がなくて、部屋の方にも
 おらへんかったし」
「・・・・・・ なんだ、そんなこと? ハタチ過ぎの男が一晩帰らないくらいで大騒ぎすることない
 じゃないの」
 そう言って、成美は背を向けた。
「ヘルちゃんのご飯買ってくるついでにあちこちのぞいて来て。見つけたら捕まえてくるのよ、いい!?
 まったく、人騒がせなんだから」
(ねーさん・・・)
 後姿を見ていると、怒った声がとんできた。
「何してんの、早く行ってきて」
「へい!」
 下手な事を言うとさらに雷が落ちそうなので、そのまますぐに店を出た・・・。

 鳴海探偵事務所では、そっくりな台詞を誠司が呟いていた。
「まぁ、一応成人してる男が一晩いないからってすぐ捜索願を出すわけにもいかんしなぁ」
「で、でもお父さん・・・」
 京香はソファの横に立って、おろおろと歩き回っている。
「ウチもプロだしなぁ」
「・・・・・・・・」
 外に掛かっているのは「探偵事務所」の看板だ。
 しかし、彼らにとって「失踪」とか「行方不明」という単語くらい痛い思いを感じるものもない。
 最悪のケースを見過ぎているだけに、どうしても心穏やかではいられないのだ。
 沈黙の降りた事務所内に、電話の音が響いた。
 京香が弾かれたようにデスクへ向かう。
「はい! ・・・あ、はい、お世話様です。はい、少々お待ち下さい」
 通話口を抑え、誠司の方を向く。
「お父さん、昨日真神くんが聞きに行った所の・・・」
「おう」
 誠司が立ち上がり、受話器を受け取る。
「――お電話代わりました。昨日はうちの所員がお邪魔しまして。・・・ はい。・・・ ああ、
 そうですか。では、今日は私が伺いますんで。・・・ いえ、昨日のお話でお尋ねしたい事も
 ありますので。・・・ええ、これから伺います。では後程」
 電話を置くと、ソファの背からコートを取り上げた。
「行ってくる。依頼を疎かにしとくわけにはいかんからな」
「お父さん!」
 声を上げかけた京香に構わず、誠司は扉に向かう。
「ちょうどいいからさあ、ついでに昨日の弟子の様子も聞いてくるわ」
「・・・あ・・・・・・」
「じゃな。悪いけど電話番頼む」
 閉まった扉を呆然と見つめたあと、京香はデスクに戻ってぼんやりと腰を下ろした。
(一人の電話番なんて、この1年散々してきた筈なのに・・・)
 今に限って、こんなに心許ない思いがするのはどうしてなのだろう・・・・・・。

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