有沢から連絡が入ったので、恭介は数日振りに病院を訪れた。
 午前の診察が終わった後で待合室に患者の姿はない。
「こんにちはー」
 受付に声をかけると、入院中になじみになった職員が顔をのぞかせた。
「はーい。あ、先生ね? 奥でお待ちだから、そちらの突きあたりの部屋へどうぞー」
 廊下の、診察室とは別の方向を示される。
 会釈してそちらへ向かおうとすると
「あ、ねえねえ」
と呼び止められた。足を止めた恭介に興味津々の表情で話しかけてくる。
「真神さんて探偵さんなのよね。泥棒捕まえたりとかもするの?」
「いえ、探偵に逮捕権はありませんからね。それは警察の仕事ですよ。依頼があれば
 捜査に協力することもありますけど」
「ああ、そうなんだぁ」
 頷く職員に恭介は尋ねた。
「どこかで盗難事件でもあったんですか?」
「それがね、大変だったのよー!!」
 勢いこんで彼女が話し出そうとしたところに奥から声が掛かった。
「小牧さん? 通用口にタカダ薬品さん来てるみたいだけど、頼んだ資料受け取ってきて
 もらえる?」
「あっ、はーい」
 職員は慌ててぱたぱたと走って行った。
 お喋りから解放された恭介は、声がした奥の部屋の前まで行き、扉をノックした。
「どうぞ。探偵くんでしょ、聞こえてたわよ」
「・・・すいません」
 中に入るとデスクに向かっていた有沢が苦笑しながら迎えてくれた。
「もう、話を知らない人が来るとすぐ教えたがるのよねぇ、みんな・・・」
「さっきの泥棒の話ですか?」
 すすめられた椅子に掛けながら恭介が聞くと、有沢は頷いた。
「事務所荒らしに入られちゃってね。そこの、一階の受付なんだけれど」
「えっ・・・ そうだったんですか」
「地域医療機関の合同会議で私が外してた時でね。ナースの巡回時間でたまたま
 隙間ができて、ほんの僅かの時間部屋が空っぽになったのよ。それだけでレジの
 小銭全部と小型金庫持ってかれちゃった」
「被害はそれだけだったんですか?」
「とりあえずね。侵入者とは誰も出くわさずに済んだから、ケガ人もなかったし」
 有沢は肩をすくめた。
「でも何しろ病院でしょ。劇薬とか麻薬類が無くなってないかそりゃもうチェックが大変で」
「ああ、そうですよね」
「あと個人情報ね。でも幸いカルテの棚は荒らされた様子がなかったし、事務用の
 パソコンも盗られなかったし」
 そんなこんなで警察は来るし患者への事情説明など後始末はあるし、ようやくこの一日
二日で落ち着いてきたところなのだという。
「ごめんなさいね。せっかく引き受けてもらえることになったのに連絡が遅くなっちゃって」
「いえ・・・ こちらのことは気になさらないで下さい」
 そのあと二人で依頼書の内容確認や署名の書き込みをし、正式に依頼は成立した。
「ありがとう。それじゃ早速だけど、これを見て欲しいの」
 有沢はデスクの引き出しから、紐留めのついた大きい封筒型の書類入れを取り出した。
「これは?」
「このまえ話した、品物の保管場所について書いてある手紙のコピー。参考のために
 以前の分も一緒に入れておいたから」
(参考? 以前の分?)
 内心で首を傾げながら
「拝見します――」
と言って紐を外し、封を開いた恭介は、中を見て思わず絶句した。


 鳴海探偵事務所へ帰り着くと、京香がテレビ台の前で何やら作業中だった。――時間から
察するに、上様の出ている番組の再放送を録画し終わってテープを片付けているところらしい。
「ただいま帰りましたー」
「お帰りなさい。さっき白石くんから電話があったわよ。後でここに寄るからって。もうそろそろ
 来るんじゃないかしら」
「え、そうなんですか?」
 今日は依頼人に会いに行くことを伝えておいたので、直接恭介の携帯に連絡するのを
遠慮してくれたらしい。
 ビデオテープのケースをしまい込んだ京香は、振り向いて尋ねてきた。
「それで、どうだったの? あちらの方は」
「はい。無事サインもらってきましたんで、依頼成立です。そっちはいいんですが・・・」
 依頼書の入った封筒を手渡した後、ソファに座りこんだ恭介は困った顔で京香を見上げた。
「あのう、すいません京香さん・・・ これ助けてもらえませんか」
「え? どうしたの?」
 有沢から預かった書類入れを開いてそっと傾けると、中からたくさんの紙束が滑り出てきて
テーブルの上を埋め尽くした。
 どれにもたくさんの文字が書き込まれていたが、よく見るとタイプで打ったものや手書きされた
ものが混じり合っている。そして、
「あらー・・・」
 京香はのぞきこんで口元に手を当てた。
 ――日本語で書かれているものが、一つもない。
「辞書と睨めっこすれば直訳までならなんとか、と思うんですけど・・・文章としてちゃんと意味の
 通るものに直せるかどうか自信がないんです」
 哲平がやって来たのはその時だった。
「こんちはーっす! お、恭ちゃん帰っとんたんか・・・って、なんやこれ?」
 テーブルに散らばっている外国語だらけの紙を見て目を白黒させる。
「依頼の資料だよ。先生が天秤を預かってる知り合いから受け取ったっていう手紙」
「手紙!?」
 哲平は疑いの眼差しで一枚を取り上げた。
「この、マルやらあっちこっち跳ねてるシッポやらついとる記号みたいのが並んどんのが?」
「それ多分タイ語だと思う・・・」
「真神くん、これアルファベットで書いてあるけど英語じゃないみたい」
「――ああ、確かそれはマレー語だって云ってたと思います」
 その答えに天井を仰いだ哲平は、持っていた紙をテーブルに戻しておそるおそる聞いてきた。
「・・・これ全部読まなあかんのか、恭ちゃん?」
「少なくとも一番最後に届けられた英文の手紙はね」
「英語まであるんか!?」
 呆れた様子で隣へ座りこんだ相棒に、恭介は苦笑して応えた。
「ていうか、なんとかなりそうなのは英語くらいしかないよ。各国語で書いてあるのは先生が
 みんな英訳を付けてくれてあるから、それをまた日本語に直してやっと、かな」
「なんで最初から全部日本語にしといてくれへんのや、あのセンセは・・・」
「いや、自分用のメモだったからだって。・・・手紙の送り主が海外を飛び回る仕事の上に
 勉強熱心なのかいつもこんな風に滞在地の言語で便りを寄越してたんだって。先生自身も、
 今は日本にいるけど、しょっちゅう海外の病院とか研究所に出かけるそうだし」
「なかなか会えん言うてたのはそれでか」
「それじゃ手渡しにしたいっていう気持ちもわかるわね」
 長距離の国際便にして、万一輸送中に事故でもあったら、荷物は永久に行方不明という
ことにもなりかねない。
「それに、訳し終わってもそれだけじゃ済まないし・・・」
「まだなんかあるんか」
 手近な英文の紙を読んでいた京香が、眉を寄せて尋ねてきた。
「・・・真神くん、これ、どういうことなの?」
「3枚目に、先生がわかった範囲の解答と解説がつけてあるそうです」
「あ、これ? ――えーと」
 すると妙な顔をして一瞬沈黙してしまう。
「・・・こんなのどうやったら解るの?」
「よっぽど地元のこと調べないとわからないらしいですね。『とりあえず傾向と対策の参考に
 してね』って言われたんですけど」
「あのー、何が書いてあるんすか一体」
 哲平の疑問にあとの二人は顔を見合わせた。
「・・・なぞなぞ、かしら」
「クイズっていうか、これも一種の暗号解読になる・・・のかなぁ」
「暗号!?」
「あ、でもこっちなんかお伽話みたいなことが書いてあるわよ?『昔々、この地方に大変乱暴な
 王様が住んでいて』とか」
 京香が読みあげた紙束を受け取り、恭介は下の解答メモをめくった。
「その王様時代の遺跡がこの回は答えだったみたいですね」
「・・・なぁ恭ちゃん。聞いてもええか?」
「お前の云いたいことは大体わかると思う。――これ貰った時、先生に謝られたよ」

『あの、つまり相手の方は、品物の在処を毎回謎解き仕立てで知らせてきた・・・んですか?』
『ごめんなさいねぇ』
 有沢は苦笑した。
『ちょっと困ったところのある人でね。自分が面白いと思うと傍の迷惑なんか構わずに何でも
 やっちゃうの』
 なんだか身につまされる話だと思いながら恭介は尋ねた。
『失礼ですが、その預かり主はどういった方なんですか?』
『同門筋というか、同じ先生についた事のある人で、私より年上なんだけど。頭の良い人でね』
 有沢は腕を伸ばして息をついた。
『今までも、やっと手紙の意味がわかった頃には別の国に移動してた、なんてことを繰り返して
 るし、正直付き合いかねるんで何度か諦めようと思ったんだけど。でもね・・・』
 複雑な表情で言葉を切ったまま、彼女はそれ以上先を続けようとしなかった。

「なんかワケ有りっちゅう感じやな。センセとその預かり主て」
「うん・・・ 確かもう亡くなってるってことだけどね」
 手紙の束を揃えながら京香が笑顔を向けた。
「いろいろあっても諦められなかったってことは、それくらい大事な形見なんでしょう? 私も
 手伝うから、頑張って探してあげてね。真神くん」
「はい」


“資料”の半分を京香に預け、当面の問題となる最新の手紙を含めた残り半分を恭介自身が
訳すことにしたのだが、あいにく事務所には英和辞書が置いていなかった。
(京香さんも所長も、普通の英文読むのには苦労しないみたいなんだもんなぁ・・・)
二人の教養と自分の語学力を比べてなんとなく落ち込みつつ、恭介はマンションの自宅で作業
することにした。そうすれば部屋には学生時代に買った辞書がまだ置いてあるし、ネットの翻訳
サイトを利用することもできる。
 そう京香に告げると、
「わかったわ。じゃ、私もこちら半分の作業を進めておくわね」
 そのまま上がっていいと言われたので、恭介と哲平は連れ立って事務所の扉を出た。
「――そういえば、お前はどうしてここに来たんだ?」
 階段を下りながら恭介が聞くと、
「いや、オレん方の用事が終わったから京香ねーさんに聞いてみたら、恭ちゃんもうすぐ戻るて
 いうし。なら一緒に帰ろか思て」
「俺、まだ自分ちで調べ物するけど」
「したら、その間恭ちゃんの部屋で待っとってもええ? なんか久し振りやなー、恭ちゃんち行くの」
 にこにこしながら言う哲平を、二、三段先に下りていた恭介は足を止めて見上げた。
 抑えた声で、
「・・・今度はどんな訳があるんだ?」
と訊ねる。
「あ、やっぱバレてた?」
 哲平が頭を掻いた。
「病院から視線が複数ついてくるなと思ってたら・・・ お前が俺を尾行してどうするんだよ」
「そりゃ恭ちゃんがセンセに取って喰われんかもう心配で心配で」
「・・・じゃ、この次は一緒に行くか」
「オレまで喰われとうないから遠慮しとく」
「先生に見られたくないのか? それともついて来たもう一組の連中に?」
 恭介の言葉を聞くと哲平は嬉しそうな表情になって
「さすが恭ちゃん! お見通しやな〜」
 腕を広げて抱きついてきた。
「うわ!」
 慌てて身体を支えようと手すりを掴んだ耳元に
「詳しい話はうちに帰ってからな」
とささやかれる。
「・・・わかった」
 呟き返した恭介は相手を押し戻して文句をつけた。
「階段の上から飛びつくなっ!! 危ないだろうが」
「え〜、オレのココロを込めた愛情表現はしっかり受け止めてや恭ちゃーん」
「誤解されるから“愛情”はやめろ。せめて“親愛”の表現と言ってくれ・・・」
 そんなやりとりをしながら一歩外に出た途端、二人は思わぬ襲撃を受けることになった。


「見つけたぞ、この悪人ども!! 二人まとめて連行してやるっ」
 そう叫んで身体ごとぶつかってきた相手の身長は、こちらの胸ほどまでもない。
「――つ、紫宵!?」
 恭介も、体当たりをなんなく受け止めた哲平も、思わず同時に声をあげてしまった。
 二人の驚きにかまわず、中国人の少年は腰に手をあてて睨みつけてきた。
「お前たちっ、最近奈々子さんのお店にちゃんと顔出してないそうだな!! ダメじゃないか!!」
「いや、あそこは奈々ちゃんの持っとる店ちゃうから」
「うるさいな!! いずれ僕が買い取って奈々子さんのものにするからいいんだ!!」
「・・・えーと」
(『ダメ』って言われてもなー)
 単に退院後の体調とか仕事の都合でたまたま間が空いただけなのだが。
 やや顔を引きつらせながら哲平が尋ねた。
「お前、こないだクニに帰るて言うてへんかったか?」
「そうだよ! そして奈々子さんにお土産を持って戻って来たんだ」
 紫宵はなぜか胸を張った。
「本当はお前たちになんか見せるつもりはないんだが、奈々子さんは心の優しいひとだ。
 これからすぐに行って謝ればきっと赦してくれるぞ。謝罪の機会を作ってやった僕に
 感謝しろよ!!」
「・・・何がなんでも一緒に行って土産話を聞け、と」
 目を宙に泳がせながら哲平が翻訳する。
(どうしよう・・・)
 事務所の前に来たということは、もともと奈々子に何か言われて恭介を探しに来たのだろうが、
その上哲平までいたとあってはとても放してもらえそうにない。
 強引に断ってしまうと泣き出しそうだし、そうなるといろいろ後が怖い。
(あ、そうか――)
「大丈夫かな」
 恭介は相棒に尋ねる視線を向けた。
「何がや? オレ達の腹具合の運命か?」
「それを言うなよ。考えないようにしてんだから」
 そうは答えても質問の意味するところは解っている哲平は、さっと周囲に目を走らせた。
「・・・ま、このクソガキの護衛はちゃんと控えとるみたいやしな」
 かすかに頷いてみせる。
 そんな二人の様子に承諾を感じ取ったのか、紫宵はぐいっと哲平の服を引っ張った。
「ほら、行くぞっチンピラ! さっさとしろよー」
「やめんかこのクソガキ」
 掴まれたシャツの裾を押さえて哲平が唸った。
「見習いもちゃんとついて来いよ!! 奈々子さんがお前の為に特製栄養ドリンクを作ってくれた
 そうだからな」
「・・・っ!!」
 相棒をなだめようとした途端に爆弾発言を投げつけられ、恭介は言葉に詰まった。
「あ、俺まだ仕事中だし。せっかくだけどまた今度な――」
「こら逃げるな見習いっ!!」
「一人でなんて行かさへんで、恭ちゃん。士道不覚悟や」
「俺は探偵でサムライじゃないっっ」
 二人がかりで捕まえられ、結局サイバリアまで引きずっていかれる。

 この様子に呆れたのか、それとも人目の多さに諦めたのか、ずっとつきまとっていた視線の
感触は薄れて遠ざかっていった。――――



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