久し振りにハードラックを訪れると、サミーが大喜びで迎えてくれた。
「よく帰ってきたな、キョースケ! 今日はお祝いだ!! オレのおごりだぜ」
「良かったわねー真神クン。またあの吸血鬼娘に借金が増えたんでしょ」
 すでに定位置に陣取っていた恵美がそう言って笑った。
「・・・なんでそんな事知ってんですかエミーさん・・・」
「いらんことよぉ聞きおって」
 思わず二人がそれぞれの感想をもらすと、
「あたしもプロだしぃ? っていうか、小猿周りの情報は別扱いでおさえてるわよ、もちろん」
 得意気にウィンクを寄越された。
「やめいっちゅーに!! 気色悪い」
 哲平が叫ぶのを聞き流して尋ねられる。
「ところで身体の具合はどうなの?」
「あ、はい、もう大丈夫です。おかげさまで」
 恭介が答えると、恵美は少し妙な目付きでこちらを見つめた。
 そして指先でちょいちょいと招き寄せる仕草をする。
「何ですか?」
「ちょっとナイショのは・な・し☆」
「・・・・・・」
 確かに、今日ここに来ることになった経緯を考えても内密にしたい話があるのだろうが。
(なんか身の危険を感じるんですけど・・・)
 哲平も同じことを考えたらしく渋い顔をする。
「変な手ェ出すなよ? 恭ちゃんは病み上がりなんや」
「心配しなくてもアタシは小猿ひとすじよぉ」
「いらんっ!!」
 そんなやり取りの後、恵美は恭介をもっと自分の近くに引っ張り込んで“密談”を始めた。
「――キミんとこの所長さんからの頼みは小猿を通して聞いたわ。まぁ相変わらずビンボー
 事務所なのはわかってるけど、情報の中身がアレだからこっちとしてもまるっきりサービス
 って訳にはいかないのよねぇ」
 成程、裏の世界に関する情報はリスクが高いから、報酬もそれに見合わないといけないらしい。
(しかし・・・ 逆さにしても無いものは出ないしなぁ)
 考え込んでいると、
「それでね、ものは相談なんだけど」
 恵美がずいっと身を乗り出してきた。
「は、はい!?」
「キミ、いま柏木のじーさまの所にいるんでしょ。小猿と一緒に」
 ・・・なんか話が見えてきた気がする。
「当然小猿の部屋に出入りする回数も前よりずっと増えてるわよねェ」
「・・・えーと」
「ここは質か量のアップを期待してもいいわよね? もちろん両方ならますますオッケーだけど☆」
(や、やっぱり・・・)
 内心で頭を抱えていると、恵美はさらに調子を変えてこんな風に迫ってきた。
「とりあえず手付けとして、この前寝込んでた時の話でも聞かせてもらおうかしらー? なんでも
 キミ、一晩中小猿に看病してもらってたっていうじゃない」
 口調は可愛らしいが、目が据わっているのが怖い。
 恭介は思わず後退さった。
「えっ・・・!? いやあの、俺、あの日は熱出てたし、寝たり覚めたりを細切れで繰り返してたから
 よく憶えてないんですけど」
「でもずっと枕元についててもらったんでしょ」
 さすがにこの会話は後ろにも丸わかりだったので哲平が横槍を入れてきた。
「コラ待て。お前恭ちゃんになに言うとるんや」
 すると恵美はそちらへ流し目を送ってみせて、
「ねぇ、アタシが寝込んだら看病してくれる〜?」
「誰がするかボケ」
「つれないわねェ。――そんなに真神クン具合悪かったの? 傷でも開いた?」
「いえ、ただの風邪ですけど」
「まっ!! それじゃ、おでこ冷やしてもらったり、着替えさせてもらったりしてたのっ!?」
「あ、あの・・・」
「ええ加減にせえ!! 同んなじ家にいるもんを看病して何が悪いんや!!」
 哲平が喚く。――まるで痴話喧嘩に巻き込まれているみたいで、どうにも頭が痛い。
「そうよ、大体どうして真神クンがいつまでもあの屋敷にいるワケ? 退院してからもう結構
 経ってるじゃない」
 再び矛先がこちらに向いたので恭介は焦った。
「すいません、所長命令なんです」
「・・・なに、ソレ?」
 哲平が難しい顔をして、力を込めて付け足した。
「ご隠居と大将両方の肝煎りでうちに預かっとんのや。お前が文句言う筋合いやない」
「なんだ、そうなの」
 途端に真顔に戻られて肩透かしを食う。
(あれ・・・?)
「まぁ何か理由があるんだろうとは思ってたケド。ふーん」
「わかっとるんやったら絡むなっ!!」
 恵美はそ知らぬ顔で煙草をふかした。
「アンタ達のうち、どっちか片方でも決まった相手がいればアタシのハートもこんなに騒がないん
 だけどぉ」
「余計なお世話や。放っとけ」
「真神クンはまだ彼女いないの? 最近好きになった人とか」
 また急に話が振られる。
「いないですよ、残念ながら」
 そう答えると探るような視線が向けられた。
「ホントに? 入院中とかに出会いはなかったの? 患者仲間とか、看護婦さんとか」
「あそこ、お年寄りの患者さんばっかりなんですよ。看護婦さんにはからかわれっ放しだったし」
「担当のセンセイは女医さんだって聞いたけど」
 哲平が頭を振った。
「――うかつに近付いたら取って喰われそうやな、あのセンセじゃ」
 この間似たような目に遭いかけたなんて言うと、話が余計ややこしくなりそうなので黙っている
ことにする。
「ただの患者というか、むしろ退屈しのぎの材料にされてたんじゃないかと・・・」
 どちらにしても情けない台詞に声が小さくなる。
「あらあら・・・ それじゃ春はまだ遠いのねェ」
 恵美は肩をすくめてみせてから、ようやく本題に入ってくれたのだった。


「前に話したことがある海外絡みの連中だけど、その後わかった処ではどうやらどっかの闇ブロー
 カーみたいなのね。但し、この街にいるのは一時的なもので、市場を開拓しにきたワケじゃなくて
 別に目的があるらしいの」
「別の目的・・・」
「ええ。最初は自分達だけで何かこそこそやってたけど、そのうち顔役にきちんと声をかけてきてね。
 “しばらくこの辺に滞在する用があるが、路銀稼ぎに手持ちの品をさばきたいので紹介して欲しい”
 って言ってきたんですって。で、はじめは“人”を取り引きに欲しがったらしいんだけど、今の
 この街じゃそれはヤバイって言われたんで路線変更したそうよ」
 哲平が目を眇める。
「やっぱり新手の“人狩り”なんやな」
「まあね。それだけじゃないわよ。――もう柏木のじーさまの方でも連中のことは掴んでるんでしょ?
 彼等が代わりに差し出した売り物って、クスリだから。といっても覚せい剤じゃなくて脱法ドラッグ
 系らしいけど」
 久蔵が引退しながら今も元幹部として力を持っている白虎組は、古い気質を残している組織なの
で麻薬類の取引は受け付けていない。
 枕ヶ碕はその白虎組の影響下にあるため、青島組の縄張り時代にいた売人達がほとんど姿を
消した後は格段に“薬”を取り扱う者は減っているという話だった。
「そっちは兄さんらが止めとる。・・・けど、そぉか、奴等あん時の話と同じ連中やったんやな」
「ま、そういうワケだから、ちゃんと商売もできてないんだけど。特に文句も云わないし、それは
 それで構わないらしいのよねぇ」
「――本当は、やはり誰かを狙っているから・・・?」
 恭介が呟くと、哲平は厳しい顔になって恵美に問いかけた。
「何がホンマの目的なんか、わからんのか」
「まだそこまではね。ただ、しばらく腰を据えるつもりらしいってことは、時間が掛かるからじゃない?
 探してるとか、待ってるとか」
 恵美は煙草の灰を落とした。
「今のところ地元とは摩擦を起こさないよう大人しくしてるけど、結構市内中をうろつき回ってるから
 気を付けた方がいいかもね。この辺りに来る時だけじゃなく、昼の街中でも」
「――わかりました。ありがとうございます」


 そんな感じでその日の話は終わった。
 柏木邸への帰り道、恭介は先程のやり取りの内容を思い返しながら、感じたことを口にした。
「確かに気になる話だけど、エミーさん、それだけの為に俺たちを呼んだのかなあ」
「あの“ナイショの話”いうのがしたかったんと違うんか」
「う・・・ いや、あれもあったと思うけど、なんか・・・」
 哲平が並んだ横から恭介の顔をのぞき込むようにした。
「恭ちゃんの様子を直接いろいろ確かめたかったみたいやな」
「――やっぱり、お前もそう思うか?」
「あの調子やから、どれが本気でどこまでがフェイクかわからんけどな」
 恵美と付き合いの長い哲平がそう言うのだから、受けた印象に間違いはなさそうだった。
「俺の様子を見て――それがどうなんだろう」
 独りごちて、恭介は何か引っかかるものを感じた。
(最近どこかで、似たような感じのことを言ったか聞いた気がする・・・)
 しばらく頭の中でその感覚を追ってみたが、どうも具体的な事が思い出せない。
 恭介が記憶を辿っている間、隣で哲平も何かを考えている様子だったが、そちらに視線を向ける
と何でもなさそうな笑顔を見せた。
「シゲの本音引き出すのも、恭ちゃんやったら出来るやろ。それと関わりがあるかどうかまだわから
 へんけど、さっきの話の連中には気ィ付けといた方がよさそうやな」
「うん・・・」
 頷くと、今度はからかうような顔になる。
「まー、浜はオレがついとる限りオッケーやけど、街中が却って心配やなぁ。恭ちゃん変なもん呼ん
 だり呼ばれたりしたらあかんで?」
「そ・・・」
 言い返そうとして、一瞬言葉を止め、意味ありげな目付きをしてやる。
「――そうだな。とりあえず、お前の部屋とゴミ袋と掃除機には呼ばれてる気がするな」
「げっ・・・!」
 哲平の顔が引きつった。
「風邪で休んだ分、溜まってるだろ」
「あ、明日ってゴミの日か!?」
「そうそう、用事があるんでいつもより早目に出かけるからな。そのつもりでいろよ」
 うわぁと叫んで頭を抱える哲平を横目に、恭介は半ば本気で掃除の手順を検討し始めた。


 翌朝、予告通り哲平の部屋でひと騒ぎを済ませた後、恭介はマンションにある自室に向かった。
 中に入るとまずパソコンの電源を入れる。
 立ち上がるのを待っている間に窓を少し開けて空気の入れ替えをしたり、傍の観葉植物に水を
やったりした。
(さて、と・・・)
 机に向かい、パソコンをオンラインにして先にメールチェックをする。件名だけ斜め読みにして
メール画面を閉じると、次に目的の調べものにかかった。
(『不思議探検』と、それから・・・)
 成美に教えてもらっておいた幾つかの掲示板サイトを回り、“天秤”が話題になっている書き込み
部分を探した。
(最近はもうないみたいだな。話が盛んだったのは、えーと・・・ 2ヶ月くらい前か)
 見つかった文面をコピーして、URLや日時の記録を一緒にテキストファイルに写していく。
 どうやら2、3週間ほど匿名掲示板で話題になった後、口コミで都市伝説系のサイトに記事として
上がったらしい。

『この中で“遥かに続く海を眼下に抱きし遠きつばさの地”という部分が遠羽市を指し、
 “運命の天秤”は現在当市内に隠されているのではないかといわれています』

(いや、だから。そのフレーズだって“〜なんて感じの言い伝えがあるらしい”程度の発言があった
 だけだし・・・)
 元の流れから見てくると、いつの間にかもっともらしい話が出来上がっていく様子に溜息をつき
たくなる。
(まぁ、そっちはおいといて――これはやっぱり気になるかなぁ)
 噂が始まった初期の掲示板での発言群だ。
 一見普通の内容に見えるのだが、交わされている言葉の使い方や言い回しが時々わざとらしい
というか、不自然に感じる部分がある。
(成美さんの言ってたのはこれか・・・)
 匿名掲示板だから、どれが誰の発言で何人が関わっているか判らないのだが、どうやら最初に
話題を持ち出した発言と、後から情報提供している発言の幾つかに同じ特徴があった。
 そして、そのパターンは天秤の話題が出ている複数のサイトで共通している。
(これは何をしてるんだろう? うーん・・・)
 控えたメモファイルを見ながら考えていると、画面の隅でチャットツールがメッセージを浮かび上
がらせた。
――おはよう、KYO。いるかい?
「あ」
 恭介は広げていたメモファイルのウィンドウを小さくして、返事を打ち込んだ。
――おはよう、SAKU。いるよ。
――今日は早いね。風邪引いてたって? もういいのかい。
――うん、大丈夫だよ、ありがとう。・・・実は昨日気になることを聞いて調べものしてたんだ。
   よければ意見を聞きたいんだけど。
――どんなこと?
――ネットでの噂の元になった掲示板の書き込みを見てるんだけど、発言の中身と書き手の意図
   してるものがどうも違うみたいでさ・・・。
 恭介は、成美の話と今しがたの調査内容をざっと説明した。
――なるほどね。見つけたのは何処の板?
――ちょっと待って。メモ取ってあるから。
 コピーしておいた数本のURLを伝えると、SAKUは自分の方でも開いて見たようだった。
――そうだな、君達の意見に賛成だよ。字面通りの事を云ってるんじゃないと思う。
――この“運命の天秤”って話、SAKUは見かけたことあるかい?
――いや、ないよ。これを見る限りトピックとして取り上げられてた期間も短いし、ほとんどその場
   限りに近いものじゃないかな。
――そうなの?
――問題の場所が遠羽じゃないかって推測のせいでローカル系のサイトが取り上げたわけだけど、
   そうじゃなかったら単なる過去ログとして流れてると思うね。
――かなりマイナーな噂だったんだ。それじゃ宣伝目的とは云えないね。
――そうだね。地元だったから、何とか今からでも見つけられたんだろう。
 どうやらオカルトアイテムとして実在するわけではない、という線が濃くなってきた。・・・その方が
ありがたいが。
(周りで大きな運命の変転がある、だっけ? 持ってると死ぬっていうあのカメオよりマシだけど)
 そう思いながら、恭介は続けてメッセージを打ち込んだ。
――すると、これは一体何をやってたのかな? 宣伝じゃないっていうなら、その為に一人数役を
   演じてたりとかではなさそうだけど。
――君のお姉さんが「キーワード」って言ってたよね。確かにそういう、仲間内でだけ意味のある
   特定の言葉を使ってるような感じかな。
(それってつまり・・・)
――隠語とか?
――そう、合言葉とか符牒とかね。
――だとしたら当事者でないと本当の意味は解らないか。
――原始的な暗号だけど、この場合は効果的かもね。公開されてる場所でも或る程度内緒話が
   できる。
――誰かが噂話を装って何かの連絡を取り合ってた?
――その可能性はあるね。
 SAKUの方が時間切れになったので、話はそこまでになった。
 『こっちでも少し調べてみる』と別れ際に告げられたので、礼を言って頼んでおく。
(結局、天秤そのものとはあまり関係なさそうだけど・・・)
 オフラインにしてパソコンの電源を落としながら恭介は考えた。
 以前質店で聞いた話といい、この掲示板といい、“実物”が見つかるとはどうも思えない。
 その一方で有沢からの依頼と情報がやけに重なっているのが気になる。
(か、関係ない、よな・・・)
 不吉な想像を振り払い、恭介は再び戸締まりをして家を後にした。


 事務所に出勤してみると、京香がやけに力を込めてデスクの上の片付けをしていた。
 恭介が顔を出すなり持っていたファイルを乱暴に投げ出して、
「あ、真神くん!」
 足を踏み鳴らしそうな勢いでこちらへ寄って来る。
「な、何ですか?」
「もしかしてと思うけど、お父さんから何か聞いてない?」
「いえ、別に・・・。所長がどうかしたんですか」
 おそるおそる聞くと、京香は憤った表情で、
「今朝起きたらもう家にいなかったの! こんな書き置きだけして何処かに行っちゃったのよ」
 テーブルの上から紙片を取り上げてこちらに突きつけた。
「・・・『ちょっと出張してくる』?」
 その一言しか書いてない。
「あんまりでしょ? 私、お父さんの携帯に何回も電話したんだけど、一度しかつながらなかったの。
 それも『遅くとも来週までには帰るから心配するな』ですって。行先も言わないのよ!?
 『弟子も復帰したことだし、留守番は大丈夫だろう』って、そういう問題じゃないでしょう!!」
(うわぁ・・・)
 誠司が神出鬼没なのは毎度のことだが、いきなり家からいなくなるというのはかなり唐突だ。
 以前のことがあるだけに遠出の際には京香に気を遣っていた筈なのだが、
(電話がつながらないって、この反応が怖かったんだろうなぁ、所長)
 頭痛と同情を覚えながらメモを置こうとした恭介は、京香がくるりと明後日の方向を向いたのを
見てぎょっとした。
 果たして、

「お父さんの馬鹿――!!」

 予想通りの大声があたり一帯に響き渡ったのだった。


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