遠羽市内でも治安の悪い場所として名を馳せる枕ヶ碕だが、人影もないせいか、午前中の光の
中ではそれほど脅威を感じさせない。
 とはいえ物騒な土地柄であることには変わりないので、特に恭介のガード役を自ら任じている哲平の方は辺りへの目配りを怠らなかった。
「オッケー。こっちや、恭ちゃん」
「相変わらずすごい奥にあるんだな・・・」
手招きされた路地へ歩いて行きながら恭介は感心して呟いた。
(毎度毎度どうやってこんな所見つけるんだろう)
 またそれを毎回驚くべき早さで突き止めてしまう人物もいたりするわけだが。
「そういや、こないだ静ちゃんとこ行ったら“今日は付き添いはおらんのか”て言われてしもた」
 暗い路地を前後して歩きながら、哲平が頭を掻いて言う。
 少し沈黙して、恭介は「ごめん」と応えた。
「・・・へ? なんでそこで恭ちゃんが謝るんや」
「だって、あの事故のせいでそんな事言われるほど心配掛けたんだろう、お前に」
 多分、いつもの空元気で取り繕う余裕もないほど。
 そう言うと哲平は慌てた様子を見せた。
「いっ、いや恭ちゃんはなんも悪ないし! っちゅうかやな、あのばあさん、人ん事からかいおって、
 なんやそれ言うたら恵美に聞いてみいとか言いおって・・・」
「あ、やっぱりそっちなんだ」
 恭介の言葉に哲平は肩を落とした。
「やっぱりって何や恭ちゃん・・・」
「俺たちそんなにしょっちゅう二人であの店に行ってるわけじゃないだろ。それに静さんとエミーさん
 の間には連絡があるみたいだし。・・・もしかして最近、ハードラックに俺連れて来いみたいな事
 エミーさんから言われてないか」
「いや・・・ そう言うたらあいつ、ここんとこやけに恭ちゃんのこと気にしとったな。まだこっち出て
 こられんのかとか。そやから、そろそろ調子見て相談しよかと思うとったとこやけど」
「何か俺に直接聞かせたい話があるって事かな」
 哲平は舌打ちした。
「ったく、そんならそうとはっきり言うたらええのに。回りくどい言い方しおって」
「・・・・・・用心しなきゃいけないような話なのかな」
 大方そうなのだろうとは思うが、あの二人ならそれにかこつけて哲平をからかって遊ぶつもりと
いうことも充分にありそうな気がした。・・・反応が怖いのでさすがに口には出さなかったが。

 今回の昭沢医師の診療所は、元は何かの事務所だったと思われる二階建ての建物で、以前に
比べるとかなり「医院」らしくなっていた。もっとも看板が出ているわけではないので、やはり知って
いる者だけが訪れるところは変わらない。
「こんにちはー・・・」
 控え目に声を掛けながら中に入ってみると、昭沢は元からの備品だったらしいスチール製の
事務机の前で一服しているところだった。どうやら今は手が空いているらしい。
 こちらをじろっと睨んで煙草の灰を落とすと
「なんじゃ、お前ら。何か用か」
「ご挨拶やなー、センセ。久し振りやのに」
「医者に用なんぞ無いほうがいいに決まっとるだろうが」
 一言のもとに切り捨てる。
「相変わらずやなこのオッサン・・・」
「用がないなら帰れ、猿」
 本気で追い出されそうな気配になってきたので、恭介は慌てて割って入った。
「すみません、うちの所長から預かってきたものがあるんです。あの、これ」
 封筒を差し出すと、昭沢はうろんそうにそれを見やってから受け取った。
 中身を取り出しながら
「小僧、茶淹れて来い」
「あ・・・ はい」
 返事をしたものの、初めての場所なので何処へ行ったらいいのか判らない。壁の扉を見比べて
給湯室らしいと見当をつけた方へ行こうとしたら、再び声を掛けられた。
「ったくあの男は・・・ ああ小僧、やめだ。いいからこっちへ来い。猿、代わりに行って湯沸かして
 こい。湯だけだぞ。それ以上は要らんからな」
「ええ〜、なんでやー」
「お前が淹れると不味いんじゃ」
 ぶつぶつ言う哲平を追いやっておいて、昭沢は自分の前の椅子に座るよう恭介に指示した。
「コート取ってそっち置け。これを脇に挟んで」
 体温計を渡される。
「は!?」
「反対側の腕よこせ。袖上げて」
 何やらメーターにつながっている、マジックテープ付きの幅がある布製の帯のようなものを腕に
巻きつけられる。
(こ、これって・・・)
 どう見ても血圧計なんですけど。
(なっ、何で!?)
「――今まで低血圧症と言われたことは」
「ないです・・・」
「ふん」
 昭沢は血圧計を外すと、封筒の中から取り出したらしい書類に数字を書き込んだ。
「体温計」
と言われたので抜き取って渡すと、表示を見て不機嫌な顔になった。
「・・・電池切れか。また交換せにゃならん。後でやり直しだな。――身長と体重は」
「身長はそんなに変わってないと思いますけど、体重は最近量ってないんで・・・」
「そっちの隅に置いてあるから乗ってこい」
 言われて行くと本当に体重計が置いてあった。靴を脱いでそうっと乗ってみる。
(あ、ここんとこあまり食べなかったせいかな、減ってる・・・?)
 結果の数値を読み上げさせられて戻って来ると、今度は昭沢が立って奥の部屋へ行き、しばらく
して文句を言いながら帰ってきた。往診カバンのような物を手にしている。
「やれやれ、面倒臭い」
 どさっと腰掛けて、恭介にもう一度腕を出して机の上に乗せるように言った。その間にカバンから
細めのゴム管を取り出してこちらの上腕部を縛る。肘の内側を消毒綿でこすって、
「手、握ってろ」
「・・・・・・痛っ!」
 急な事に恭介が小さく声を上げたのを聞きつけ、哲平が素早く給湯室から顔を出した。
「どした!?恭ちゃん・・・って、へっ?」

 二人が鳴海探偵事務所に戻って来たのは時刻が午後を回ってからだった。
「・・・ただいま帰りました・・・」
 何故か疲れた顔の恭介と、それを気掛かりそうに見ながらついて入って来た哲平の様子に、
京香は驚いたようだった。
「どうしたの?」
「おう、お帰りー。ちゃんと昼メシ食ってきたかぁ?」
 ソファから誠司がのんきそうに声をかける。
「指定通りスピリットで食べてきましたけど・・・」
 持って帰って来た封筒を渡しながら恭介は相手を恨めしげな目で見たのだが、豪快に笑い飛ば
されてしまった。
「俺って親切だろう? まぁ献血の時だって水分補給にジュースくらい貰えるしな」
「いや、それちゃうやろ大将。オレらメシ代自腹で払っとんのやし」
 哲平のツッ込みにも構わず誠司は二人をソファの向かいに手招きした。
「ま、お疲れさん。ワトスン君も一緒に休憩してけや」
 先に恭介を座らせて、哲平は相棒の頭にぽんと片手を置いた。
「オレは別になんも疲れとらんけど・・・ 恭ちゃんは大変やったなぁ」
「何があったの?」
 二人の前に湯呑を置きながら、京香が眉をひそめて尋ねた。
「えーと、オレが見た時は恭ちゃんいきなり注射器で血ィ抜かれとって」
「え!?」
「・・・それじゃまるでホラー映画だろ、哲平。採血って言わないと。――健康診断の検査を受けて
 来たんですよ。それもフルコース」
 恭介は苦笑して言葉を付け足した。
「身長・体重から始まって体温・血圧の測定、採尿・採血に心電図、レントゲンまで撮りました
 からね・・・」
「それって――お父さん!?」
「んー? 従業員の定期健診は雇用者の義務だろ?」
 封筒の中身を調べながら誠司がそんな風に答える。
「うちの事務所の規模じゃ当てはまらないじゃないですか。しかも俺、昨日病院でレントゲン撮って
 きたばかりですよ」
「その程度の被曝量なら問題ないから心配するな」
「それは知ってますけど。・・・って、そうじゃなくてですね」
「残りの検査結果はいつ判るって?」
 誠司があくまで真意を明かすつもりがないらしいのを悟って、恭介は諦めた。
「・・・来週だそうです」
 一通り検査が終わった後、昭沢は二人に封筒の中に入っていた誠司の手紙を示した。
 それには恭介の健診依頼と、二人へは帰りにスピリットで昼食をとってくるようにという指示が
書かれていた。
 あっけにとられている二人に昭沢は
「分析検査のデータが返ってくるのは十日後だ。その頃また取りに来い」
と言い渡して、さっさと診療所から追い出したのだった。
「・・・しかし、あのセンセとこの検査て大丈夫なんか? 使っとる道具もボロばっかりやし」
「ご隠居の恩人にそんな事言っていいのか」
 身も蓋もない哲平の台詞に恭介が口をはさむと、
「そやかてまともな体温計の一本もあらへんかったやないか」
「・・・体重計は多分まともだったと思うけど」
 誠司が書類から顔を上げた。
「あー、この『体温35度かっこ仮』って奴? なんかあったのか」
「最初に使った電子体温計の電池が切れてて、次に使った水銀体温計の目盛が動かなかった
 んですよ」
 仕方なく恭介は説明した。
「だから仮に目盛の一番下の数字をつけとくとか言われて」
「ふーん・・・?」
「その先生の所って、そんなに経済的に困ってらっしゃるの? 器材に事欠くくらい」
 京香が心配そうに言う。
「えー、そりゃ闇医者やし、患者はあんなもんやし、しょっちゅう引っ越すし、儲かっとるとは・・・
 あ、でもご隠居とか結構援助しとるらしいんやけど」
 話がどんどんずれていくのを溜息混じりに見送り、恭介は肝心な事を上司に尋ねた。
「それで、依頼の返事はどうなったんですか」
「おう。依頼書作っといたから、持ってってそれで良いかどうか依頼人に確認してくれ。良ければ
 サイン貰って依頼成立な」
 誠司はデスクの方に立って行って事務所名の入った封筒を投げてよこした。
 受け取って中の書面をあらためると、報酬の点を具体的にしている他は、ほぼ受けた条件の
通りになっている。
「わかりました。それじゃ、先生に連絡入れます」
「しっかり稼いでお姉ちゃんに借金返せよー」
 ソファから立ち上がった途端にそんな事を言われて、恭介は再び座り込みそうになった。

 有沢に都合を尋ねると、この二、三日は時間が取れないとのことだった。
 そういう訳でまだ正式に依頼は成立していないが、恭介は下調べ代わりに少しネットで天秤の
骨董品について検索してみた。
 実用品とあってか、どちらかというと史料的な意味合いが強く、アンティークとしての流通量は
あまり多くないようだった。
「ふーん、感心ね。ちゃんとあたしの言ったやつ調べてるの?」
 ふいに横から声をかけられて恭介は慌てた。
「あ、はいっ」
 ヘルシングを抱いた成美はその様子を見て妙な顔をした。
「何? 実はアダルトサイトでも見てたの?」
「〜〜〜違います・・・っ!」
「そーいうのは自分ちでやってよね。店のパソコンなんだから変な履歴つけないで」
 ここはセクンドゥムの中だった。言いつけられた店番の最中に、客がないのを幸い仕事の調べ
物をしていたので後ろめたい気分だったのだ。もっとも、確かに成美の探し物とも重なっている
部分があるので、それほど罪悪感は持たなくてもいい・・・のかも知れない。
 放っておくと面白がって“アダルトサイト疑惑”を追求されそうなので、恭介は強引に話題を変える
ことにした。
「そういえば聞いてませんでしたけど、どうして成美さんは“運命の天秤”なんて物を探すことにした
 んですか?」
 成美はあっさり答えた。
「そういう噂があったから」
「噂? ・・・って、何処でですか」
「ネットよ。最初は『不思議探険! 遠羽市編』とかいうサイトで見かけたんだけど」
 その名前には見覚えがあるような気がする・・・。それも、例のカメオの事件の時に。
「元を辿ってったら匿名の掲示板サイトが発信源らしいんだけどね。それも一ヶ所じゃなくて、複数」
「それじゃ只のいわゆる“ネタ”かも知れないんですね」
「まぁね」
 自分達はネット上のでっちあげ発言のせいで出歩かされているのかと思うと、物哀しい気分に
なる。
「――でもね、その流し方が変なのよ。ネタ発言と見せかけながら、少しずつ具体的なキーワードを
 混ぜてたりしてね。どうも“何か”を・・・それとも“誰か”をわざと呼んでるみたいな感じ」
「わざと呼んでる?」
 成美は頷いた。
「そ。映画やテレビの宣伝にしては地味過ぎるし、噂が派手になり過ぎないよう抑えてるとこもある
 のよね。誰が何の目的でこんな事してるのか、実際にあんた達動かしてみたら反応があるかな
 ーって」
(この人は・・・)
 それは一つ間違えるとかなり危ないんじゃないだろうか。
 そう思って控え目に注意を促してみたのだが成美は平然としていた。
「平気よ。万一こっちの素性がバレたって、骨董屋がいわく付きの品物を欲しがるのはむしろ
 当たり前の事だし」
 いや、バレちゃまずいと思うんですけど。
「・・・それで、何かわかったんですか」
「まだよ。ちょうど仕掛け始めたところであんたが行方くらましちゃうもんだから、そのまんま」
 恭介はやや小さくなって言いわけした。
「だからそれは不可抗力で・・・」
 成美の顔は笑っていたが、声はドスが利いていた。
「その分も含めてこれから頑張ってくれるわよねぇ?」
「努力させていただきます・・・」
 助かったことに、そこで哲平が店に入ってきた。
「お二人さーん、そろそろ夕飯の時間やけど〜」
「あー、行く行く!」
 すぐに成美が声を上げる。
「成美さん!? 今日は俺が店番してた間しか店開けてないじゃないですか」
「何よー、いいじゃない別に。お腹すいた〜」
 駄目だこれは。
 そう思いつつ哲平の方を見ると、既に戸締まりやレジの鍵など店じまいの仕度を始めている。
・・・抵抗してもムダだと悟っているのか、それとも大勢での食卓が続いている事に喜んでいるのか。
(両方かな・・・)
 自分も諦めてネットの接続を切り、パソコンの電源を落として立ち上がる。
(ネット上の噂か。成美さんの話みたいな情報操作をしてるなら確認しておいた方がいいだろうな。
 明日、SAKUにも何か知ってるかどうか聞いてみよう)
 考えながら店の中央まで出ると、哲平が肩を寄せてきた。少し声を潜めて話しかけてくる。
「恭ちゃん、メシの後ハードラック行ってみるか」
「・・・そうだな。わざわざ伝言も貰ってるし」
「おし、決まりやな」
 店の入り口から女王様の命令が飛んでくる。
「哲平ー、あたしのコート」
 やっぱりヘルちゃんだけじゃ寒い、とかなんとか聞こえた。
「――へいへい」
 そして、連日早仕舞いのセクンドゥムを後にして、三人(と一匹)は柏木邸へと帰って行ったの
だった。

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