退院後検診の日は、市民オークションの本番当日と重なっていた。

「ほな、終わったら電話してな。すぐ迎えに来るから」
 そんな訳で、哲平は車で恭介を病院に送り届けるとすぐ、柏木邸まで引き返さなくてはならな
かった。
「いいのか? 今日は忙しいんだろ。行きだけで充分だよ。こっちは何時に終わるかわからないし
 後は電車で帰るから・・・」
 恭介が言いかけると、
「それはあかんて言うたやろ。大丈夫や。恭ちゃんの方優先してええてご隠居にも言われとるし、
 大将からも元々頼まれとるんやから」
 本当だったら診察にもずっと付き合うのに、と哲平はぶつぶつこぼしたが、さすがにそれは無理
というものだった。
 恭介は溜息をついた。
「・・・哲平」
「ああ、わかっとるて。もう行くわ」
 車の向きを変える前に、哲平は運転席の窓から恭介に向かって念を押した。
「ええか、ちゃんと風邪のことも訊くんやで?」
「うん、わかったよ」
 ――そして哲平の車が遠羽方向に消えて行くと、恭介はようやく病院の玄関口をくぐった。

 予約の時間よりやや遅れて名前を呼ばれ、診察室に入る。
「おはようございます・・・」
「おはよう、探偵くん。よしよし、ちゃんと来たわねー」
 机の前でカルテを広げながら明るい声で迎えた眼鏡の女性医師、有沢は、こちらに目を上げ
ると意外そうな表情で問いかけた。
「あら、元気ないみたいね。調子よくないの?」
「何日か前に熱出しまして、それからちょっと」
 コートを横のカゴの中に置いて、医師の前に座りながら恭介は答える。それを聞いて有沢は
眉を寄せた。
「その後も良くないの? 背中の方は?」
 尋ねながら負傷箇所を見せるように手振りで示す。ナースが横に一人ついて包帯を外すのを
手伝ってくれた。
「熱が出てる時にかなり痛みましたけど、今は大丈夫です。ただその後あまり食べられなくなっ
 ちゃいまして」
「それは困るわね。体力がつかなくなるし。――そうね、傷の方は順調に回復してるわ。レントゲ
 ンでも特に異常はないし」
 背中の様子を診ながら、
「何処か気になる所はある? 痛いとか痺れてるとか」
「いえ、他には別に」
「熱の方は風邪だったの?」
「喉が痛かったから多分そうだと思うんですけど・・・ そっちは病院へは行かなかったんで」
「ふーん・・・ ちょっと見てみましょうか」
 有沢がそちらの診察を始めるのに
(ほんとに風邪もみてくれるんだ――)
 哲平の言ったことを思い出し、恭介は感心してしまった。
「・・・そうみたいね。でも、喉の炎症は治まってきてるし、肺の音もきれいだから心配はない
 けど・・・ 血圧が低いわねぇ」
 困ったような顔をされる。
「探偵くん、仕事がら外を出歩くことが多いでしょ。これじゃ身体がかなりつらかったんじゃない?」
「えーっと、実は今朝まで寝込んでまして」
 小さな声で答えた途端に叱られた。
「こら! そういうことはもっと早く言いなさい」
「す、すみません」
 謝りながら、その事実を言い出すタイミングがあったかどうか疑問に思ったりする。
「もう、ずっと起きられないくらい調子悪かったの? 仕方ないわね・・・ 探偵くん、このあと
 時間ある?」
「あ、はい、大丈夫です」
「じゃ点滴受けていきなさい。それで少し様子をみましょう。1時間くらいかかるけど、いい?」
「わかりました」
(1時間か・・・)
 時計を見るとちょうど昼食の時間帯にぶつかりそうだ。
「ちょっと電話してきていいですか?」
「いいわよ。帰ってきたら隣の処置室へ行ってね」
 有沢は頷いて、後ろに立つナースに指示を出すと次のカルテをめくった。

 一度病院の外へ出て携帯を取り出す。
 運転中ではなかったらしく、哲平は一度のコールですぐに出た。
『は〜い恭ちゃん、コワイ美女センセの診察は終わりましたかー』
「・・・・・・お前、暇なのか」
 それ以上突っ込む気力もなく恭介が訊き返すと、
『むっちゃヒマ』
 哲平は断言した。
『ご隠居とねーさんはもう会場の中に入ってもうたし、オレは外でぶらぶらしとるだけや。そっち
 終わったんねやったらすぐとんでったるけど』
「いや、まだ。これから点滴するから後1時間くらいかかるんだって。だから昼飯は済ませちゃって
 くれないか」
『なんや、そぉかあ。ほな迎えの時間はどうする?』
「終わったらまた電話するよ」
『わかった。したらそのくらいに目処つけて待っとるわ』
「うん。じゃ、また後でな」
 連絡を終えると恭介は病院内に戻った。
 先ほど行くように言われた処置室は、診察室より一つ奥に入り口があった。
 中へ入ると既に準備をしていたナースが、こちらへどうぞ、と声をかけてくる。
 何台か置いてある簡易ベッドはそれぞれ周囲をカーテンで仕切れるようになっていて、そのうち
の一つに横になり点滴を受ける。
「寝ちゃっても大丈夫ですよ。終わったら起こしてあげますからね」
 そう言ってナースは立ち去って行った。
(・・・・・・えーと)
 別に眠くはなかったのだが、この状態だと何もする事がない。
 ただ考えなくてはいけない事はいろいろあったので今のうちにそちらへ意識を向けようとしたの
だが、回復しきっていない身体の方がどうやらまだ休息を要求していたらしい。
 自分でも知らないうちに恭介はそのまま眠ってしまっていた。

 ――それからどのくらい経ったのか、ふと気が付くと斜め上から有沢がこちらの顔をのぞきこん
でいた。その距離がやけに近い。
「!? せ、先生?」
「あ、起きたー?」
 反射的に身体を起こそうとして点滴中だったことを思い出し、かろうじて動きを止める。
 有沢は恭介が目を覚ますと少し後ろに下がって、何かに腰をおろした。隣とのカーテンの仕切り
が一枚開いていて、そちら側の空きベッドをベンチ代わりにしているらしい。
「何してるんですか、そんな所で・・・」
 よく見ると片手にサンドイッチ、片手にペットボトルの紅茶を持っていて、傍にはコンビニの袋が
置いてあったりする。
 パンの端を呑み込んだ有沢は笑顔で答えた。
「目の保養、兼、お昼ごはん〜♪」
 聞くんじゃなかった、と恭介は後悔した。
 その様子を見て有沢は不満そうに文句をつける。
「いいじゃない、日中はこの通り食事の時間もろくにないのよー? せっかくこんな機会に恵まれた
 んだから、たまには若い男のコ愛でながら食べたってね〜」
「・・・・・・・・・・」
 鑑賞される対象としてはうっかり同意できかねる。
「そんなに忙しいんですか」
「そうよー。受付時間が終わっても診察や検査はまだ残ってるし、このあと入院病棟の回診も
 あるしねぇ。このパンだって自分で買いに行く暇がなくて外に出るナースの子に頼んで買ってきて
 もらったんだから」
「それは・・・ 大変ですね」
「そうでしょう? おまけに相談事しようと思ったら当の探偵くんは寝てるしー」
「え?」
 恭介が目を瞠ると、有沢はつい今しがたまでのからかうような態度を止め、持っていたものを
横に置いた。
 そして表情をあらためて恭介に話しかけてきた。
「こんな時で悪いんだけど、教えてほしいの。・・・聞いたんだけど、君が勤めてるのって、実は
 有名な探偵事務所なんですって?」
 ここでいきなり仕事の話になるとは思わなかった恭介は慎重に答えた。
「――そうですね、所長はかなり名前の知られてる人です」
「そういうところに所属してるなら君も結構腕がいいんでしょ」
「・・・それなりに仕事はしてますけど。正規の所員ですし、一応所長の弟子としても認めてもらって
 ますし」
「じゃ、信用できるわね。人間的にも、見ず知らずの他人をかばって怪我するくらいだし」
「・・・どうも」
 有沢は笑った。
「実はね、探してる物があるの。私がこの調子でなかなか自分で動けないものだから、代わりに
 頼みたいと思ってるんだけど」
 そう聞いて恭介はふと思い出し、訊いてみた。
「もしかしてそれは骨董品か、それに類するような物ですか」
「え!?」
 有沢は驚いた声をあげて眼鏡の中の目を丸くした。
「――どうしてわかったの?」
「先生、この間ウィングホテルであったオークションの内覧会に行ってませんでしたか? あの時
 俺もあそこにいたんです。それで、何か探してるように見えたので」
「そうだったの・・・」
 恭介の言葉に有沢は頷いた。
「ええ、もしかしてああいう所に紛れて出ていないかと思って、念のため見に行ったのよ。結局
 見つからなかったんだけど。君はどうしてあそこにいたの?」
 恭介は一瞬言葉に詰まった。この場面で、身内に使い走りさせられてました…とは口にできない。
「知り合いにアンティークショップの店長がいて、時々手伝ったりしてるんです。その関係で」
「本当!? じゃ、君はそっちの方の人とも繋がりがあるのね」
 有沢は嬉しそうな顔をした。
「やっぱり相談してみて良かったわ。ね、事務所には他の調査員もきっと大勢いるんでしょうけど、
 私は君にお願いしたいの。いいかしら?」
「あ、えーと」
 恭介は答えに戸惑った。だが有沢はそれを別の意味に受け取ったようだった。
「ああ、個人で依頼を引き受けちゃ駄目とかそういうのがあるの? じゃあ上の人に訊いてみて
 もらえるかしら。それで――」
 有沢は脇のカゴの中に目を留めた。たたんで置かれているコートのポケットから、携帯がすべり
出して少し顔をのぞかせている。
「これ、君の携帯? この間持って帰ったのとは違うみたいだけど」
「あれは壊れちゃったんで・・・」
「ああ、そうだったわね。それで取り替えたのね」
 有沢は手を伸ばして携帯を取り上げた。
「まだ点滴終わってないでしょ、動かなくていいわよ。・・・私の連絡先入れさせてもらうわね。受けて
 もらえる事になったら知らせて欲しいの」
 時計を見て溜息をつく。
「もう昼休みが終わっちゃうわね・・・ それじゃ、急いで大体の処だけ話をさせてもらうわ」――


「・・・探して欲しいのはお祖父さんの遺品だそうです」
 次の日、恭介は誠司の前で依頼内容を報告していた。
 病院から帰ったあと、電話で事務所に有沢の件を相談すると折り返し京香から連絡が来たの
だった。
『さっきの話ね、お父さんが一応真神くんに直接聞いておきたいんですって。明日はこっちに出て
 来られる? 体調の方はどうかしら』
「ええ、大丈夫です。もう良くなりましたから」
 点滴してもらったのが効いたのか、だいぶ身体が楽になって前よりは食事の量も摂れるように
なっていた。
『そう? 無理はしないでね。――それとね、白石くんと一緒に来て欲しいんですって』
「哲平もですか」
 という訳で現在ソファの隣には相棒が座っていたりする。
(エミーさんに頼んでた情報の件かな・・・?)
 誠司が哲平を通して恵美から情報提供を受けていると聞いたのは数日前のことだ。考えながら
恭介は言葉を続けた。
「昔、事情があって家から持ち出されてしまったものが最近になって遠羽近辺にあるらしいと
 わかったので、それを見つけ出して欲しいということでした」
「物は?」
「・・・調剤の時に使った“上皿天秤”だそうです」
「天秤〜!?」
 案の定、隣から声が上がる。
 哲平が複雑そうな顔で頭を掻きながら恭介の方を見て言った。
「・・・恭ちゃん、絶対なんか呼んどるやろ」
「俺は呼んでないっ!!」
「天秤だと何かあるのか?」
 ソファの向かいから誠司が面白そうな顔で訊いた。
 デスクの前で「あ」という声を出して、京香が問いかける。
「もしかして成美の?」
「まあ、同じ物じゃないと思いますけど・・・」
 というか、そんな何かが取り憑いたような品物だったら嫌だ。
「なんだ京香、お前も知ってるのか」
「あ、うん・・・ 確か真神くんの事故の時聞いたのよね? 成美がまた変なもの探せって言って
 二人を困らせてるって。それが何とかの天秤とかいうんだったわよね」
 誠司は笑い出した。
「そーか。あの時の“お姉ちゃんの頼まれもの”か〜」
「もう、お父さんたら! 笑いごとじゃないでしょ!?」
「いうたら恭ちゃん、カメオの時もホンモノ引き当てとったしなぁ」
 哲平が難しい顔をしてぼそっと呟く。
 恭介はものすごくテーブルに突っ伏したい気分になったが、無理矢理持ちこたえた。
「・・・話、続けていいですか」
 有沢から聞いた話は次のようなことだった。
 依頼品は、やはり医師をしていた彼女の祖父が何十年も昔に使っていた古い道具だ。一時は
諦めていたのだが、実を云うと品物自体はもう何年も前に知人が市場に流れていたのを見つけて
手元に引き取ってくれていたという。
 輸送中のトラブルで再び紛失するのを怖れ、直接会って受け渡すことになったのだが、お互いに
仕事の都合で各地を移動する事が多くなかなか会えない。
 そうこうしているうちに、その知人と連絡が取れなくなってしまった。それも運悪く事故か何かで
亡くなってしまったらしい。
 但し問題の品物の在処については以前手紙をもらっているので、それを手掛かりに探して欲しい
ということだった。
「その知り合いの遺族とかが持っとるのと違うんか?」
「家族はいなかったらしいよ。それに自宅も留守がちなんで、品物は別の場所に預けてたらしい。
 ただ預けてた本人はもういないし、手紙が届いてから時間も経ってることだしで実際はどうなって
 るかわからないんだって」
「ふーん・・・・・・」
 恭介は手帳をめくった。
「それでここからが条件なんですが、品物が見つかって実際に引き取りに行く際には先生も同行
 したいということ」
「ま、そら人情やろな」
「それから・・・ 期限は今月いっぱい、と」
 尋ねる視線を誠司に向けると、相手は振りで続きを促した。
「あの先生は、現在所用で出かけている院長の代理を頼まれて来ているそうなんです。今月末
 には院長が戻って来て入れ替わりにあの病院を離れるので、できればそれまでに見つけたいと。
 もし見つからなかった場合でも、調査日数分、規定の料金は払うし、見つかった場合には成功
 報酬として別額を上乗せしてくれるという話でした」
「今月いっぱいって云うとあと2週間ないくらいだけど・・・ すごく急かされてる訳でもないし、
 いいんじゃないかしら? お父さん」
 経理担当として期待するところがあるらしい表情で京香が言う。
 向けられた娘の視線に顎を掻きながら、誠司は
「あー、それで弟子としては何でその場ですぐ引き受けて来なかったんだ?」
(そ、そこでこっちに回すんですか所長・・・)
 所内で一番弱い立場の身としては致し方なく、恭介は振られた問いに答えた。
「急な話でしたし、どのくらい時間が掛かりそうかまだよくわからない段階で期限付きだっていう
 条件でしたから・・・ それと」
 少しためらってから、
「担当者として俺を指名したいと言われちゃいまして」
「え? どうしてそれが問題なの? だって真神くんが受けた依頼でしょ」
 京香が不思議そうな顔をする。
「先生誤解してるんですよ、有名なんだから大所帯の事務所だろうって。でも説明する暇もなく
 話を進められちゃって・・・。それに、今の俺は一応ご隠居の所にお預けってかたちになって
 ますよね? 念の為、報告してからでないといけないかと思ったんですけど」
「んー、まあそうだな。そっちは俺から挨拶しに行っとく」
 誠司はそう言ってソファにもたれかかっていた身体を起こした。
「で、お前さん達はその間ちょっとお使いに行って来てくれ」
 テーブルの端に置いてあった大きめの封筒を押して寄越す。
「枕ヶ碕の先生のとこまでな」
「ああそぉか、だからオレ一緒なん?」
 哲平が納得した顔で頷く。
「そ。ワトソン君なら今の居所判るだろ」
「お任せやって。あんな奥の方は恭ちゃん一人で歩かせられへんしな」
 命を狙われる危険がなくなったとはいえ、闇医者である事には変わりない。昭沢医師は相変わ
らず枕ヶ碕の中を転々としているようだった。
「戻って来るまでに条件を詰めとくから、依頼人への返事はその後でな」
「わかりました」
 封筒を手にして立ち上がる。
「おし、行こうで恭ちゃん」
「うん。――それじゃ行ってきます」
 二人が戸口に向かうと
「おう。ワトソン君、弟子をよろしく頼むなー」
 誠司の声が背中から彼等を送り出した。

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