諏訪との面会に出かけた後は、特にこれといった事もない日が続いた。

 何回かすれ違った後、恭介はようやく誠司をつかまえることができたのだが、いざ話をしようと
すると相手は
「忙しいから質問は一日に一つな」
などと言う始末だった。
 溜息をついて少し考えてから、
「・・・じゃ、事務所に来たっていう例の“ペーパークラフト”用のDMは何処にあるんですか」
と訊くと、誠司は一瞬鋭い視線をこちらに向けてから、笑った。
「さぁて、何処だったかな〜。こないだファイルのどれかに適当に突っ込んじまったと思うんだが、
 どれだか忘れちまった」
「・・・・・・・・・」
 嘘だ、と言い切れないところが哀しい。
「わかりました。探します。見つけたら俺のところに来たのも一緒にそこへしまっておきますから」
 ささやかに抵抗を試みたが、
「おう、なるべく早くなー」
と、あっさりいなされてしまった。
 そんな訳でここしばらくは一日に最低一回、事務所のファイル棚を整理するのが恭介の日課に
なっている。
 これが予想通り難行で、ファイルの数は夏に整理した時よりも増えているし、誠司は出してみた
あと必ずしも元の場所に戻さないらしい。昨日と今日とでファイルの位置が入れ替わっていることも
しばしばだった。
(わざとやってるんじゃないでしょうね、所長・・・・・・)
「真神くん、大丈夫? あまり根を詰めてやらないでね」
 デスクから見守っている京香は気掛かりそうな顔をしている。お互いこの作業の大変さは身に
しみている間柄だ。
「ええ、気を付けます。適当に区切りをつけながら進めますから」
と答えたところに、携帯が鳴った。
(わ・・・)
 成美からだ。着信画面を見るとセクンドゥムから掛けているらしい。
「も、もしもし?」
『2号くーん、そろそろ上がらな〜い? こっち来てやって欲しい事があるんだけどー』
 反射的にデスクの方を窺うと、京香がこちらを、というか携帯を睨みつけている。・・・名前は口に
出さなかったのだが、態度で気付かれてしまったらしい。
(もうちょっと顔に出さないようにならなきゃな・・・)
と反省していると、京香が低い声で尋ねてきた。
「成美、なんですって?」
「・・・えーと、何かやって欲しい事があるので店に来いと」
「掃除とか商品の並べ替えとかの力仕事じゃないでしょうね」
 実はそれ一昨日哲平とやったばかりですとは言えず、
「多分違うと思いますけど・・・」
と答えると、京香は考え込んだ。
「――そうね、それならここのファイル整理より少しはましかも・・・。いいわよ、真神くん。今日は
 そこまでにして成美の所に行ってらっしゃい。でも、あんまり重労働だったら断るのよ?」
「は、はい。すみません」
 これから行くと電話に返事をし、出したファイルを元の位置に納めると――明日までに誠司に
引っかき回されていない事を祈ろう――恭介は挨拶をして事務所を出た。

 セクンドゥムの扉を開けると、足元をすっと先に入って行ったものがあった。
「ヘルちゃん、お帰りー」
 相変わらず猫と人との優先順位は動かないらしい。
「――えーと、成美さん」
 なんとなく挨拶のタイミングを逸して、そんな風に呼びかけてみる。
「ヘルちゃんは本当にお利口さんねー」
 店主は奥の部屋への入り口にしゃがみこんで、黒猫の頭を撫でている。
「あの、俺、事務所のほう上がってきましたけど、やる事って・・・」
「ごはんの時間にはまだ早いから、もうちょっとお部屋で遊んでらっしゃい」
 ・・・毎度ながら無視されるし。
 恭介は諦めて、ヘルシングがその場を去るまで待った。
 猫が二階の部屋に消えるのを見送って、はじめて成美はこちらを振り向いた。
「なんだ恭介、いたの」
「ヘルと一緒に入って来たんですけど・・・」
「ふーん? ま、いいわ。こっちに来て」
「――はいはい」
 呼ばれて奥へ行ってみると、パソコンの前に書類が何枚か置いてあった。商品リストのようだ。
「サイトの更新ですか」
「そ。あと組合からメールが来てるからそれもやって」
 恭介は机の前に座って電源を入れた。
「組合から?」
「イベント用のバナーをトップページに張るんだって」
 画面が立ち上がるのを待ってメーラーを開く。
 結構探してやっと見つけたそのメールにはこんな件名がついていた。
『遠羽市古物商組合主催・第1回市民チャリティーオークションについて』
 添付ファイルにバナー画像が入っている。
「ホームページ持ってる店はみんなそれ張って組合の告知ページにリンクしろって。面倒くさい
 けど、このイベント、じじいも世話人になってるしー」
「へぇ、ご隠居も・・・って、成美さん、このメールいつのですか!?」
 イベントの日付を見ると開催まであと何日もない。普通この手の告知はかなり期日をとって
するものじゃないだろうか。
 横に立つ成美はつまらなそうな顔をした。
「見りゃわかるでしょ。あんたが入院してすぐくらい」
「ひと月近く前じゃないですか! こういうのは早くからやっておかなくちゃ駄目でしょう」
「だってー、自分でやるの面倒なんだもん」
「・・・・・・・・・」
 そうだった。自分の店のページでさえ半年も平気で放っておく人なのだ。
「せめてもっと早く言って下さいよ・・・」
 仕方がないので最優先でそちらの作業をする。イベント後に言い出されなかっただけマシかも
知れない。
「じゃ、よろしくねー」
 無責任に声を投げて歩き出そうとした成美は、思いついたように振り返った。
「あ、内覧会の日にはあんたと1号も手伝いに来るのよ、いいわね」
「え?」
 聞き返す間もなく出て行かれてしまったので、たった今リンクを張ったばかりの組合のページで
スケジュールを確認してみる。

『・・・・・・なお、内覧会は次の予定で行ないます。
 会場:新遠羽港前 ホテルウィングトーバ 10F催事ホール “飛翔の間”
 日時:・・・・・・・・ 』
 
 それは、明後日の日付になっていた。
「だからもっと早く言って下さいよーっ!!」
 慌てて事務所に電話をし、京香に当日出かける許可を貰う羽目になった。

 そして、二日後の午後。
 内覧会の会場は「混んでいる博物館の中」といった様子だった。出品目録を手に、お目当ての
品物を見定めようとする客の群れに混じって、恭介も展示されている物を眺める。
 さっき駐車場から車の移動を頼まれて出て行った哲平はまだ帰って来ない。
「内覧会っていうのは、要するにオークションの『下見会』よ。ここで欲しい物の目星をつけて
 おいて、当日競り落とすわけね」
 昨日の夕食時に成美が説明してくれたところによると、そういうものらしい。
「本式にはカタログを発行して、それを見ながら実物をチェックするんだけど、今回はひろく市民に
 なじんでもらおうってレベルのものだから品名と簡単な説明の目録くらいしかないのよ」
「じゃあ、かえって下見が大事とか」
「そーねぇ。組合の方からまともな品物も幾つか出るけど、今回は大部分市民有志からの出品って
 事になってるからガラクタ市と大差ないかも」
「ねーさん・・・ そないにはっきり・・・」
「で、でも、もしかしたら掘り出し物もあるかも知れない訳ですね」
 と慌てて恭介がフォローすると、久蔵は苦笑していた。
「まぁ、最近マスコミの影響で自宅に眠っている品物を見直す人も増えたからな。意外な物が
 出てくる事はあるかも知れん」
 こうして見て回っていると、確かにそれらしい骨董品からちょっと昔に流行ったアイドルグッズ
まで実に様々な物が並んでいる。
 中には恭介から見ても価値の怪しそうな壷とか単なる古道具にしか見えない物もあったが、
さすがに主催する組合各店が出品している物は違っていた。
 セクンドゥムが出品したアンティークが収まっているガラスケースの周りにも、かなりの人だかりが
できている。
(ふーん・・・ こうしてみると、やっぱり成美さんのセンスはいいんだな)
 いつも間近でぐーたら店主ぶりを見ている者としてはちょっと感慨深いものがある。
 そういえばさっき組合の役員同士で挨拶していた時も、穏やかながら貫禄と存在感のあるご隠居
の隣に並んで立って、少しの違和感も見劣りもなく優雅な物腰で相対している様は、格式ある店の
主にふさわしく見えた。
(いつもああしてればいいのに・・・ なんて云ったらきっと怒られるんだろうな)
 このあたりの品物を見に来る人達は、やはり余裕のある暮らしをしていそうな身なりの人が多く、
装飾品をいろいろ身に付けていたり、外国の物らしい変わった香水の香りを漂わせてすれ違って
いったりした。
 しかし大半は普通の服装をした市民達で、会場内は出品された展示物の発する骨董品特有の
匂いといったものと、大勢の人間が歩き回る熱気と埃っぽさで雑然とした空気になっていた。
 その中で恭介は意外な人物を見つけた。
(あれ・・・・・・?)
 目録を片手に展示ケースを覗き込んでいるのは、先日までの入院先の担当医、有沢の横顔
だった。
 何かを探しているように、次々と並んでいる品物に視線を移している。
(あの先生、アンティーク趣味があったのかな)
 病院にいる時はそんな話は聞かなかったのだが。
 そちらへ行ってみようとした時、ふと、足元が揺れたように感じた。
(・・・?)
 見回してみたが、別に何も変わった様子はない。次の一歩を踏み出そうとして頭の何処かに
くらりとした感覚をおぼえ、恭介は気が付いた。
(違う、俺がふらついてるんだ・・・)
 人混みの空気にでもあたったのだろうか。身体を起こしてみると、幸いまだしっかり立てる。
 こんなに混雑している所で転倒などしては大変なので、恭介は慎重に出口へ向かった。

 普段はホテルの宴会場として使われている天井の高いホールから、両開きの大扉を抜けて
外へ出ると、廊下の左右がロビーのようなスペースになっていた。
 幾つかソファやテーブルが置かれ、無人のカウンターにはサービス用の冷水のグラスが並べ
られている。
 まだ始まって間がない時間のせいか、ロビーにいる人は少なかった。
 恭介はようやく窓側にあるソファの一つに辿り着き、腰を下ろした。沈み込む身体に意外なほどの
疲労を感じて、後ろにもたれかかる。自分が浅く肩で呼吸をしているのがわかった。
(どうしたんだろう・・・)
 と思いながら、とりあえずここでしばらく休む事にする。少し経てば治るかも知れない。
(今日はそんなに疲れるような事はしてなかったと思うけど――)
 午前中、セクンドゥムから小物ばかりの出品物を数点抱えて、哲平と二人で一度車で搬入に来た。
受付で会場設営の専門業者に品物を預け、一旦戻る。
 しばらくしてから開会時間前にご隠居と成美を送り届けるため、もう一度一緒に来場。打ち合わせ
に別室へ向かう二人を見送り、恭介は哲平と会場前に残った。打ち合わせが終わるまで見物
がてら待っているはずだったのだが・・・
 思い出しながらうっかり目を閉じてしまい、恭介は後悔した。目眩が余計ひどくなったのだ。
 目を開けてひとつ息をつき、わずかに頭を振る。
 その時、何かを感じてふと動きを止めた。
(誰か、こっちを見てる――?)
 ソファの横は全面ガラス張りになっていて、新港の景色が一望できるようになっている。しかし
ミラーグラスなのでそちらの外から見られることはない。
 視線を感じるのは建物の中からだった。廊下か、会場の方向だ。しかも、
(一つ・・・じゃない・・・・・・)
 どうするべきか考え込んだ時だった。

「おっ、そこの彼氏! どうした、気分でも悪いのかい。水飲む? そこのカウンターのヤツだけど」
「・・・は!?」

 いきなり後ろからとんでもなく能天気な声をかけられ、それまでの空気が一瞬にして吹き飛ぶ。
 振り返ると本当に水入りのグラスを目の前に差し出された。
「いやー、高級なとこは水まで違うねぇ。これレモン落としてあるからさっぱりするよ。あ、もしかして
 柑橘系苦手か?」
「いえ・・・ 平気ですけど・・・」
 呆気にとられながらつい受け取ってそう答えると、
「そーか、そりゃ良かった」
などと言いながらにこにこされる。
(な、何なんだ!? この人)
 やや小柄だが、スポーツが得意そうな引き締まった身体をしている男性だ。人懐っこそうな笑みを
浮かべている顔はちょっと年齢が特定できない。20代から40代までのどれと言っても通用しそう
だった。
 そしてその隣に並んだ人物がいる。こちらはかなり大柄な体格のいい男性で、連れの台詞に
眉間を抑え、頭痛をこらえるような表情をしていた。向き直って恭介に謝ってくる。
「すまん・・・・・・。お節介だし態度はこんな奴だが、悪気はないんだ」
「あ、いえ・・・ ありがとうございます・・・」
 呆然と恭介が見ているうち、大柄な男性は手を振っている連れを引っ張って廊下の隅の方へ
移動していった。そこで小柄な相棒に向かって何か言い聞かせるような調子で話している。しかし
相手は気にした風もなく、受け流しているようだ。察するところどうも漫才めいたやり取りになって
しまっている様子だった。
「・・・・・・・・・・」
(苦労してそうだな、あの人――)
 なんとなく同情を覚えながらそんな事を考えていると、ようやく聞きなれた声が戻ってきた。
「――恭ちゃん! こんなとこにおったんか」
「あ、哲平。遅かったな」
 入り口から会場の中を探していたらしい哲平が駆け寄って来る。
「車どかしたんはええけど、一回外へ出なあかん羽目になって、入り直すのにえらい時間取られて
 しもて・・・・・・ どうした?」
 哲平は恭介の表情と視線の方向を見て怪訝そうな顔をした。
「・・・えーと・・・・・・・」
 事実をそのまま説明すると、あらぬ誤解を招きそうな気がする。・・・多分。
「いや、その、親切な人がいてさ。ちょっと目眩がしてここに座り込んじゃってたら、水くれたんだ」
 そういえば先刻感じていた視線もいつの間にか消えている。
 哲平は恭介の言葉を聞くと、真顔になってこちらを見直した。
「具合、悪いんか?」
「少し休んだし、もう平気だよ」
 立ち上がろうとすると手で止められた。
「座っとけ。何も急ぐ用事もあらへんし、無理に歩き回る事はないやろ」
 そう言って哲平も隣に腰を下ろした。そのまま、しばらく二人で窓の外を眺める。――
 冬の午後で、海は鈍い色に光っているが天気はいい。
 下の方には“Aim”の会場になったイベントホールがあって、それを取巻く緑地公園が穏やかに
広がっている。
 哲平が窓の方に立っていき、ガラスに手を当てた。
「そういや、ここの景色ゆっくり見たんは初めてやな」
「そうだな・・・ あの時はそれどころじゃなかったしな」
 あれから特にこの場所を訪れる機会もなかった。
(高級ホテルになんて縁のない生活してるしな)
 いつもは見上げているだけだった建物の中からこうして外を眺めているのは、なんだか不思議な
感じがする。
「なんぼでも眺めとけや。恭ちゃんにはその資格があるやろ。――ここを守ったんは恭ちゃん
 なんやから」
 言われてふと目を向けると、哲平がこちらを見て笑っていた。
「お前もだろ」
「いや、オレらは言われた通り動いただけやし。謎解いたんは恭ちゃんや」
「・・・あれは出題者が悪かったからだよ」
 答えた声が思わず呟くようになる。
 すると、戻って来た哲平に頭をくしゃくしゃにされた。
「なんだよっ」
「へへっ、恭ちゃんと一緒に居(お)れてオレほんま嬉しいわ」
「――うん、俺も。・・・ありがとう」
 答えた途端に飛びつかれた。
「わかった! わかったからじゃれるなって!」
 いつもなら適当にやり返すなり避けるなりするのだが、今日は何だか息切れがしている。それに
気が付いたらしい哲平もすぐにふざけかかるのを止めた。
「・・・マジで調子悪そうやな、恭ちゃん。どうする? ねーさんか、ご隠居探して話してこうか」
「いいよ、そんな・・・」
「――あんた達そんな所で何やってんの?」
 呆れたような声が降ってきて、顔を上げると成美と久蔵がそこに立っていた。
「あ」
「ちょうどええ処に。――すんません、恭介の具合があんまり良うないんです」
「哲平っ!」
 恭介は焦って相棒の腕を引っ張った。立っている二人がそれぞれ思案する視線を向けてくる。
「・・・ふむ。確かに顔色が良くないな」
「いいわよ、先に帰っても。――打ち合わせが延びたのよ。このあと夜までかかるっていうし、その後
 も顔合わせを兼ねて食事会に行くってことで一度解散になったから出てきたの」
「そうなんですか」
「帰りは組合連中と一緒の車になるだろうから、わしらの事は構わんよ。帰って休みなさい。
 ・・・ああ、何かあったらすぐに連絡をな、哲平。一人で慌てるとろくな事にならんぞ」
「ご隠居〜〜〜」
「すまんな、真神くん。余計な事に付き合わせたおかげで体調を崩させてしまって」
「いえっ、とんでもない」
 係が呼びに来たので久蔵と成美は引き返して行ったが、その場を離れる間際、成美は二人を
一瞥した。
「監督がいないからって羽目外すんじゃないわよ。大人しくしてなさい」
「オレら小学生とちゃいますって、ねーさん・・・」
「何か言った? 1号」
「いえ、なんも!」
 ・・・しかし、結局しっかり殴られていた。

 哲平と一緒に柏木邸に帰った恭介はすぐに自室で寝かしつけられたのだが、翌日になって
熱を出した。
 ――どうやら風邪を引く前兆だったらしい。
 微熱だったしすぐに下がったのだが、事故で負傷した部分に思いのほか響いてしまい、それから
二、三日しての退院後検診には、風邪気味のまま出向く羽目になった・・・・・・。


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