「さー、着いたでー」
と言って起こされたのは、何故か柏木邸の前だった。
「・・・ 哲平」
 寝起きのせいもあって、恭介はちょっと呆然として相方を呼んだ。
 だが哲平は知らん顔をして楽しそうに車から荷物を降ろし始めている。
「ちょっと待て、こら」
「京香ねーさん、どうぞ先降りて中に入ってて下さい。これはみんなオレがやっときますんで」
「そう? 悪いけどお願いしちゃっていいかしら。じゃ真神くん、私達は先にご挨拶しに行き
 ましょう」
「京香さん!?」
 困ったような、後ろめたいような顔で、京香はこちらを見た。
「ごめんなさい。でもね、『所長命令』なんですって。今日から当分ご隠居さんの所でお世話に
 なるようにって」
「えええ!?」
「そう言うたかて恭ちゃんすぐには納得せんやろうから、黙ってとにかく連れて来いて言いつ
 かっとんやで。 オレも、京香ねーさんも」
 寝ててくれて助かったわ、とか言ってにやにやしている。
「なっ、なんで・・・」
「さーさー、諦めて早よ上がり。なんか足りないもんあったら、後で一緒に恭ちゃんち取りに
 行くし、な?」
「・・・・・・」
 もはや返す言葉もない。
 恭介は仕方なく、京香に伴われて柏木邸の門をくぐった。

「―― お帰り、恭介」
 玄関の上がり口には、楽しそうな顔をした成美が立っていた。
「・・・ ただいま」
 自分の家でもないのにどうかと迷ったが、結局そう返事をした。しかし、この人がこんな
時間からここにいるという事は。
「成美さん、店はどうしたんですか」
 途端に頭をはたかれた。
「てっ!」
「成美っ! 退院したばっかりの真神くんに何するの!!」
「だーって、2号が悪いんじゃない」
「ちゃんと名前で呼びなさいってば!」
 ・・・ とりあえず傷口は避けてくれたらしいが、やはり周囲に響く。余計な一言を後悔
しながらぶたれた所を押さえていると、
「じじいが座敷で待ってるから行ってきて。それと、落ち着いたら後であたしの部屋に
 来なさい」
「あ・・・ はい」
 成美はそれだけ言うと、さっさと奥の自室に向かって歩いて行った。・・・ 大分慣れてきた
とはいえ、午前中の光はまだ苦手らしい。
 いつものお手伝いさんに案内されて、二人は座敷に進んだ。
「失礼します」
 声をかけて中に入る。
「おお、真神くん。待っておったよ。いきなりですまなかったなぁ」
 久蔵が満面の笑みで迎えた。恭介と京香はその正面に並んで座る。
「この度はご心配おかけしました」
「なぁに、こうしてまた元気な姿を見せてくれたのだから、もう構わんよ。とはいえ・・・」
 お茶が出されるのを待って、久蔵は言葉を継ぐ。
「誠司くんとも話したんだが、これからはもう少し皆も気を付けたほうがいいのかも知れんと
 思ってな。それで来てもらう事にしたのだよ」
「・・・ 狙われているということですか」
 姿勢を正して恭介は訊ねた。
「いや、具体的にどうというわけではない。ただ、哲平も君を捜しとる間に妙な噂を聞いて
 きたようだし、実際君の遭った事故も含めて、ここのところ不穏な事件も続いておる。
 用心に越した事はなかろう」
「・・・・・・・・・」
「まして君は病み上がりだしな。そんな時期に一人であの部屋に置いておくのは、周りの方が
 心配でなぁ」
と、京香の方に笑いかける。京香は真面目な顔で頷いた。
「実を言うと、無理に来てもらったのはそれもあるのだよ。成美と哲平があれ以来どうも
 不安定でな」
「え ・・・・・・」
「君の行方がいっとき判らなかったのが少々こたえたようでなぁ。すまんが、しばらくこの家に
 居てあいつらを宥めてやってくれんか。とりあえずこちらで寝起きしてくれるだけで
 いいんだが」
 ―― 断れる訳がない。
 こうして恭介の柏木邸滞在は決定したのだった。

 昼食の後、恭介は哲平と一緒に荷物整理のため車で自宅のあるマンションへと向かった。
事務所に戻る京香もそこまで同乗することになった。
「この前ここに来たのって、真神くんの入院手続きの時だったわよね」
「すみませんでした。いろいろお手数かけて」
「ううん、いいのよ。一人暮らしなんだもの、仕方ないでしょ」
 二人が先に車を降りて、哲平は駐車場へ回る。
 待っている間に階段の入り口にある郵便受けを開けてみた。
(みんなとの連絡はほとんどメールだから、大したものは入ってないと思うけど・・・)
 ふたを開けた途端滑り落ちてきたのは、案の定ポスティングされたチラシやDMの山
だった。
「あれ ・・・・・・」
 中に一つだけ、やけに綺麗な封筒がある。
 宛名のところには名前でなく、「Invitation」と書いてあるだけだ。
「これも広告なのかな」
 恭介の手にした封筒を見て、京香があら、と声をあげる。
「どうかしました、京香さん」
「その封筒、昨日事務所に来てたのと同じだわ」
「え?」
 言われて裏を返してみる。差出人名は書かれておらず、封蝋がしてあった。
「うわー ・・・ DMにしては凝ってるなぁ」
「あ、やっぱり! じゃ、中にカード入ってない?」
「メッセージカードですか」
「うん。昨日来たのはね、英文で何か一言だけ書いてあったみたいなんだけど」
「へえ・・・ なんて書いてあったんですか」
「お父さんにすぐ取られちゃったからわかんない」
「取られたって・・・」
 京香は横からのぞき込んで封筒に触れた。
「あら、いい匂い。コロンか何か吹き付けてあるのかしら。・・・ なんかね、すごくいい紙
 でしょ? これ。捨てちゃうにはもったいないから、何とかっていうペーパークラフトに
 使いたいんですって」
 恭介は抱えた荷物を取り落としそうになった。
「ペ、ペーパークラフト?」
「うん。それもね、紙工作っていうより、ほら、便箋やカードの縁を丸く切り抜いたり、
 透かしのレリーフやエンボスかけて紙を飾ったりするの。・・・ また変な趣味を始めた
 みたいなのよね ・・・」
 いや、その趣味自体は変じゃない。ないのだが。
 それに誠司の多趣味も話に聞いてはいたのだが。
(イメージにギャップがありすぎる・・・)
 想像するとちょっと目眩がした。
「―― どしたん、二人とも。まだ部屋行ってへんかったんか」
 そこへ、車を置いた哲平が戻って来た。
「あ、うん。ちょっと」
「真神くんの所にも入ってるって事は、これ、この辺一帯に配った広告なのかしら」
「それにしてはお金かけ過ぎてますね」
 言いながら封を開ける。
 そこには透けるような薄い紙の便箋が一枚入っていた。ワープロか何かで打ったらしい
文字が並んでいる。
「・・・ あら、カードじゃないのね。何て書いてあるの?」
「えーっと ――」

『以前からあなたのことを知っていました。
 お礼を申し上げたいことなどもありますので
 一度お目にかかりたいと思います。
 いずれお迎えにあがりますので
 その際は是非お越しください』

「・・・・・・・・・」
「・・・・・・ 何やこれ」
「ラブレター、にしては変よね。名前もないし」
「新手の出会い系ちゃうかな」
「だったら“お越しください”はわかるけど、“迎えに”って書くかなぁ」
「・・・ ストーカーとか」
「嫌な事言うなよ、お前 ・・・」
 どうしていいかわからないまま、三人は沈黙してしまった。
 階段の前で立ちっ放しになっている彼等に通行人が不審そうな視線を投げていく。
 それに気付いて、京香が気を取り直した。
「いけない、こんな時間だわ。早く帰ってお父さんと電話番交代しなきゃ」
と言って振り返る。
「真神くん、それじゃ明日、何時でもいいから一度事務所に来てくれる? まだいろいろ
 後片付けがあって忙しいでしょうから、この後の事もその時相談しましょう」
「はい、わかりました。―― 今日はどうもありがとうございました」
「ううん。じゃ、また明日ね」
 京香は急ぎ足で公園の方に向かって行った。
 それを見送って、
「―― で、どうするん、それ?」
 哲平が目線で封筒を示す。
「どうしようかなぁ。・・・ まあ、後で考えるよ。所長がこの紙欲しがってるなら事務所へ
 持ってってもいいかも知れないし。とにかく、荷物を先に何とかしないと」
「せやな。したら行こ」
 ひとまず訳のわからない手紙の事は置いておいて、二人は恭介の部屋へ向かった。・・・

 また柏木邸に戻って、しばらく間借りすることになった部屋へ荷物を運び込んで片付けたり
お手伝いさんに改めて挨拶をしたりしていると、午後も結構遅くなってしまった。
「・・・ 成美さん」
 部屋の外から声をかけると、「どうぞ」と眠そうな返事がかえってきた。
 失礼します、と断って扉を開け一歩入ると、純和風邸宅の中でそこだけ別の国になって
しまったような洋間だった。
 窓などの開口部にはしっかり遮光カーテンが掛けてある。明かりは、壁際に置かれた
ライティングデスクの上のスタンドが一つきりで、室内はセクンドゥムと同じような薄暗がりが
ひろがっていた。
「ペンダント、見せて」
 物憂そうに足を組んで座ったソファから、成美が片手を伸ばす。
「―― はい」
 多分そのことだろうと予想はしていたので、恭介は持ってきたペンダントを差し出された
掌の上に置いた。
 渡されたものをスタンドの下に持っていき、仔細に見入った後、成美はゆっくり身を起こした。
「ふぅん、思ったより損傷はないわね。さすがに鎖がちょっと傷んでるけど」
 そっと鎖を伸ばしてみる。
「本当なら交換するほどじゃないけど、あんたみたいに乱暴な扱いをするんじゃ念のため
 取り替えておいた方がいいかもね」
「別にわざと乱暴にした訳じゃないですよ」
「自分で飛び込んでったんだから、弁解の余地なし。あんたを守ってくれたんだから、文句を
 いうんじゃないの。これと、あたしのお守りとね。・・・ 持ってるんでしょ?」
「ええ、ちゃんと」
 以前成美が渡してくれたエアメールは、あれ以来ずっと手帳に挟んである。事故の時も
持っていたし、今もそのままだ。
「じゃ、こっちはしばらく預かるわ」
「お願いします」
 正直云って助かった。これからしばらく柏木邸にいるとなれば、ずっと留守の部屋に置いて
おくのは気掛かりだったのだ。
「済んだら実費手数料込みで料金請求するから、そのつもりでね」
「う」
 一瞬絶句して、だが、いやまぁそれは仕方ないかと気を取り直そうとした途端、追い打ちを
かけられる。
「あと、入院費もあったわよねぇ」
「・・・ だからそれは保険がおりるまで待って下さいってば」
 恭介は頭を抱えた。今回の入院費用は成美が立て替えた形になっているのだ。
「えー? あの運転手、捕まったはいいけど変な薬でラリってたとかで裁判なかなか進まない
 んでしょ? いつ賠償してもらえるかなんてわからないじゃなーい」
「知ってて言ってるんじゃないですか・・・」
「じゃあね」
 成美は人の悪そうな顔でにやっと笑ってみせた。
「その代わり、“天秤”の続きやって」
「えっ!? まだ諦めてなかったんですか」
 うっかり口走ってしまい、恭介は報復をくらった。デスクの上に立っていたペンを投げつけ
られたのだ。
「成美さんっ!! ペン先が刺さったらどーすんですかっ」
「あんたのせいで中途半端に止まってたんでしょ。身体慣らしに近所をお散歩しながら
 聞き込みするくらい、できるわよねぇ?」
「・・・ お散歩って ・・・」
「どーせあの不良親父、しばらくリハビリさせるって言ってたからヒマなんでしょ」
 避けそこなってぶつけられたペンを絨緞の上から拾い上げながら、恭介は振り向いた。
うっかり急に動いたので傷が引きつれて痛い。
「所長、そんな事言ってたんですか」
「なんだ、聞いてないの?」
「出勤は明日からですから」
「そ。じゃ、明日からよろしくね。あ、1号にも言っときなさいよ。調査再開だって」
「・・・ はーい」
 手を振られてしまったので、2号は女王様の居室から退出した。

 夕食後、恭介からその話を聞いた1号はしみじみと言った。
「ねーさん、ホンマ容赦ないなー」
「・・・・・・・・・・」
 あらためて感想を言う気になれず、恭介は肩を落とした。
「ま、無理せずぼちぼちやったらええやん。手始めに静ちゃんとこでも行くか?」
「そうだな ・・・ 事務所の方は、時間はいつでもいいって京香さん言ってたけど、やっぱり
 早目に行っておきたいし ・・・ あ、まず携帯買い直しに行かなきゃ。あと、夜メールチェック
 できないから、昼間のうち部屋に戻ってやっとかなきゃいけないし」
「そういや恭ちゃん、なんでパソコン持ってこなかったん?」
「本体はいいんだけど、ネットの回線契約の問題があってさ。結局あの部屋でないと駄目なんだよ」
「ふーん。・・・ 結構忙しそうやな。ほな、静ちゃんとこ行く時、一度帰って来て声かけてや。オレも
 用言いつかってるから、一緒に行こうや」
「ん、わかった」
 そこで小さく欠伸をした恭介を見て、哲平は少し真顔になった。
「やっぱ初日で疲れたか? 少し顔色悪いで。今日はもう休んだ方がええんちゃうか」
「そうか? 自分ではあんまりわかんないけど・・・ じゃ、そうするよ。お休み」
「おう、お休みー」

         *          *          *          *          *

 その晩、明かりがつかない恭介のマンションの部屋の窓を、物陰から見上げている
影があった。
 しばらくしてその影は立ち去ったが、それを見咎めたものは誰もいなかった。


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