「・・・ほら、まだ足元が危なっかしいやろ。ええから肩貸せて」
「大丈夫だってば! 一人で歩けるよ」
「んな恥ずかしがらんでも。酒の後ならいつもの事やないか。なんなら背負(しょ)ってこか?」
「絶対、嫌だ」
「ちぇー。冷たいなぁ、恭ちゃん」
「そういう問題じゃないだろ!!」

 オークションの内覧会から引き上げる事になった恭介と哲平は、建物の地下にある駐車場まで降りて来ていた。
 コンクリートの柱が規則正しく林立し、その間に車が整然と収まっている。
 何処を向いても同じ景色で、まるで迷路の中を歩いているようだ。
 さっき哲平が入れ直したばかりの車の場所は、ようやく見つけた空き場所だけにエレベータ昇降口からはかなり遠く、
周囲には誰もいなかった。・・・だからこそ、人目も気にせずこんなやり取りができるのだが。

「それで、何処に置いたんだ? 車」
「えーと、確か柱にGの29とか書いてあったんやけど・・・ ああ、あったあった」
 コンクリート打ちっぱなしの壁にペイントされた記号を見て、哲平は声を上げた。
 その突き当りを左に曲がると、やっと見慣れた車が見つかった。
 車のキーを後ろのポケットから取り出しながら哲平が尋ねた。
「恭ちゃん、助手席でええか? それとも後ろのシートで横になってくか」
「だから平気だって言ってるのに・・・」
 恭介はロックを外された助手席側のドアを、力を込めて開けた。
(なんか、退院してからこっち過保護だよな、みんな)
 多少思う所がないでもないが、病院で目を覚ました時の事や久蔵に滞在を頼まれた時の事を思い出して溜息をつく。
(・・・仕方ないか)
 諦めつつシートベルトの金具を差し込む。そこへ哲平がにやにやしながら言った。
「着くまで寝とってええで」
「・・・その台詞聞くと嫌な事思い出すんだけど」
「そりゃ気のせいやろ。――ほな、帰ろか」
 楽しそうに笑う哲平と、ますます疲れたような顔の恭介を乗せて、車は地上へ向かって動き出した。

「・・・なぁ、いつから企んでたんだ? 俺をご隠居ん家に連れてくのって」
 帰りの車中で、恭介は運転席の相棒に尋ねた。
「企んでたなんて人聞きの悪い」
「じゃ、なんて言うんだ」
「こっそり裏で計画してたとか」
「あんまり変わんないと思う」
 哲平は肩を落とす振りをしたが、恭介はそこで止めようとしなかった。
「それで、いつからだ」
「追求しちゃいやん」
「ごまかしても駄目。――結構ぎりぎりだろ。俺が退院する前の日か、当日の朝ってとこじゃないか」
 真っ直ぐ前を向いてそう言う恭介を、哲平は横目でうかがった。
「・・・なんでわかったん」
「やっぱりそうなんだな」
 さっさとファイル整理終わらせよう、と恭介は呟く。
「京香ねーさんから聞いたんか?」
「いや、京香さんは何も言ってないよ。俺がそうじゃないかと思っただけ。・・・・・・で?」
「どっかのオッサンの真似しとんのか、それ。・・・鳴海の大将が、恭ちゃん退院する前の晩にご隠居に会いに来たんや」
「京香さんは一緒だったのか?」
「いいや、大将一人だけやった。オレは部屋の中には入らへんかったから、どんな話だったのか詳しい事は知らん。
 けど、大将が帰ったあとでご隠居に呼ばれて、二人で相談の上決めたから、病院から恭ちゃん直接連れて来いて
 言われた。多分、京香ねーさんには大将が自分で言うたんやろ」
「そうか・・・・・・」
 答えたきり恭介は沈黙する。その横顔から外した視線を正面に戻して、哲平はその時の事を思い出した。
 あの晩、誠司は帰りがけに、哲平にもこう言っていったのだ。
「あいつが帰ってきたら、当分の間、お前さんができる範囲でいい、あいつの身辺に気を付けてやってくれねぇか。
 それと、例の話を聞かせてくれた情報通のお友達に、その後新しい動きがあるか聞いといて欲しい。
 ・・・スマン。俺から正式に頼んだ方がいいとは思うが、ウチの事務所貧乏でな。だがこの際、出来るだけの手は
 打っておきたいんだ」
 軽い口調に見せてはいたが、目の光が真剣だった。
「・・・わかった。シゲの方は何とかする。恭介は―― 特に見とくとこは?」
「まだ今の段階では絞りきれん。だからそうだな、あいつ自身の様子、体調か。この家に預けるから、一緒に居る時間が
 増えるだろう。そいつに注意しといてくれるか。変わった事があったら俺か京香に連絡してくれ」
 ハンドルを握りながら哲平は前方を睨む。
(――なんかヤバい事があるんやな。恭介の身に関わる事で)
 あの誠司が、あれほど慎重になるくらい。
(そして恭介も、なんも聞かされんでも、自分で気付いて動き出しとる)
 ならば、自分もこの手であたう限り恭介を守る。
 それもまた、誰に言われなくとも決まっている哲平の気持ちだった。

 柏木邸に戻って来ると、今度は車を降りる時に手助けするしないで騒いで、次に玄関ですぐに休む休まないで
言い争いになり、ようやく中に入ると最後に恭介の部屋で、どちらが布団を敷くかで揉めた。
「そのくらい自分でやるって!」
「あかん、車降りてもずっとふらついとるやないか。オレがやるから恭ちゃんはさっさと着替えでもしとけ」
 哲平が頑として譲らなかったので、恭介は渋々部屋に置いてある荷物の中から寝間着がわりのトレーナーを取り出し、
着替える事にした。
 服を脱ぐと、背中から胸周りに巻かれている白い包帯が目に入る。その辺りにまだ深い裂傷が残っており、保護用の布が
当てられているのだった。背中のそれ以外の部分も打撲の痕で皮膚が緑や紫に変色していて、普通の色をしている所の方が
少ない。それでも、脊髄に損傷がなくて幸いだったと病院ではいわれていた。
 哲平が手を止めて見ているのに気付いて、恭介は顔の半分だけ振り向いた。
「・・・なんだよ」
「いや。・・・怪我んとこ、痛むか」
 恭介はトレーナーを頭から被って引き下ろした。
「普通にしてる分にはもうそんなでもないよ。硬いものに当たったり、急に力を入れたりしなきゃ平気だし」
「そぉか」
 哲平は顔を戻して、掛け布団をもう一枚重ねた。
「――よっしゃ、終わったで。恭ちゃん」
「はいはい」
 呼ばれた恭介は畳んだ服を持ってそちらへ行き、枕元に置いてから、敷かれた布団の上に腰を下ろした。
「ありがとう、哲平。もういいよ」
「まだあかんて。ちゃんと横にならんと」
「お前な、昼寝の時間に園児寝かしつける保母さんじゃないんだから・・・」
 文句を言いながら、恭介は仕方なく言われた通りにする。
 胸の上まで掛け布団を引き上げたのを見届けて、ようやく哲平は頷いた。
「おし。んじゃ、余計な事せんと大人しく寝とけよ?」
「わかったよ・・・」
 立っていった哲平は部屋の入り口で振り返り、
「ほなお休み。オレ、お手伝いさんにご隠居らが遅くなること言うて来るから」
 それから静かにふすまを閉めて出て行った。
「・・・・・・ふう」
 恭介は息をついて天井を見つめた。
 世話の焼かれ方には閉口したが、横になって身体がほっとしているのも事実だった。
 目を閉じるとすうっと引き込まれるような感覚がして、恭介はそのまますぐに眠りに落ちていった。

 その晩、帰ってきた久蔵を迎えに哲平が玄関へ出ると、珍しく酔っていない成美が一緒にいた。哲平の顔を見るなり
「恭介は?」
 と問う。
「あれからずっと部屋で寝てます。夕方、一回メシに起こした時、喉痛いから風邪かも言うてました」
「・・・そう」
 成美はそれだけ言って奥の自室に入って行った。久蔵はそれを見送ってから、低い声で哲平に尋ねた。
「誠司くんには連絡したか」
「はい。このまま様子見ててくれいうことでした」
「うむ。そうしてくれ」
 久蔵は頷いて、
「何か変わった事があれば夜中でも構わないから声を掛けなさい。それから、特に何もないうちはお前も休んでおく
 ようにな」
「わかりました」

 その翌朝。
 哲平は、廊下から軽く声をかけて恭介の部屋の戸を開けた。
「恭ちゃん、朝メシの時間やけど・・・ どうする?」
 中へ入ると、恭介はまだ横になったままだった。顔を見た途端に具合が良くないのがわかった。表情に力がなく、呼吸が
浅い。
「・・・ごめん・・・食欲ない・・・・・・」
 恭介は掠れた声で言いかけ、小さく咳き込む。その直後、肩を強張らせて横を向いた。
「――つ・・・っ」
「どうした」
「・・・背中に、響いて・・・」
 哲平は急いで傍に行き、布団の横に膝をついた。手を伸ばしかけて一度ためらい、慎重に恭介の背中に掌をあてる。
そのままさすると、恭介は息をついて肩の力を抜いた。
「――サンキュ」
「さわっても平気か? 傷に触れて余計痛くなったりせえへんか」
「大丈夫。今みたいに中から来る方がこたえるよ」
 哲平は背中から離した手を、今度は額に当てた。
「――熱あるな。わかった、寝とけ。京香ねーさんにはオレから言うとく」
「ごめん・・・」
「こういう時のためにこの家に居るんや、変な遠慮は要らんて。――何か欲しいもんあるか」
「・・・いや、いいよ・・・・・・」
 恭介は疲れたように答え、目を閉じた。その様子を哲平は難しい顔で見守り、それから立ち上がった。

 電話で京香に連絡がてら相談すると水分補給に気をつけるように言われたので、哲平は教えられた通りスポーツドリンクを
買ってきて少しずつ恭介に飲ませた。
 哲平が気になったのは、計ってもそこまでの温度ではないのに、もっと高い熱を出しているかのような消耗具合を恭介が
みせていることだった。
(怪我のせいか?)
 それで体力や抵抗力が落ちているのかも知れない。実際本人も「風邪で寝込むなんてすごく久し振りだ」とぼやいていた。
 加えて熱が負傷した部分に負担を掛けているらしく、ひどく背中を痛がっていた。目が覚めている時には決して口にしない
のだが、熱と痛みで意識がはっきりしていない時に消え入りそうな声で呟いているのを哲平は聞き取っていた。
 その日の夕方には熱が上がって痛みで眠れないほどの様子になったので、哲平はずっと横に付き添って背中をさすり
続けた。それで少しは痛みがやわらぐようで、恭介は途切れがちながら眠って休む事ができていた。
 夜になって一度目を覚ました時、外が暗くなっているのに気が付いた恭介は哲平に声をかけた。
「もういいよ、哲平。・・・ありがとう、ずいぶん楽になった。お前もそろそろ休まないと疲れるだろ・・・」
 まるで元気のない声に、哲平は舌打ちした。
「ったく、病人が何気ィ遣うてんのや。余計な事考えんと寝とけって」
「でも感染(うつ)ったら悪いし・・・ そっちの腕も痛くなるだろ」
「オレは元気やから風邪なんか感染(うつ)らへんて。お前がちゃんと寝られるようになったらオレも休ましてもらうから、心配
 せんでええって。――ああ、そろそろ時間やな。なんか飲んどくか」
「・・・うん」
「わかった、今度は水でええか? じゃ持って来るわ」
 哲平は部屋を出て台所に向かい、水を入れたコップを持って引き返して来た。
 戻る途中の廊下に成美が立っていて呼び止められる。
「どう、様子は」
「熱はともかく、背中が相当つらいみたいで。もう少し眠れればええんですけど」
「そう・・・」
 会釈して哲平が戻って行くのを、成美はそのまま見送っていた。

 夜半を過ぎると熱は少しずつ下がってきた。
 それにつれて痛みも引いてきたので、恭介はようやく落ち着いて眠れるようになった。
 穏やかな寝息を確かめて、哲平は相棒の背にあてていた掌を離す。
(このままゆっくり休めればええんやけど)
 酒の後での介抱はさんざんしてきたので相棒の寝顔は見慣れているが、今回の恭介の表情にはこれまで見た事のない
儚さのようなものを感じて、哲平は不安になった。
(ご隠居らの言う通りこの家に連れてきて、ホンマ良かった)
 とてもあのマンションに一人で寝かせておくことなど考えられない。・・・恭介には不本意だろうが。
(――背中の、この傷)
 いつだってこの相棒は自分のつらさを二の次にして、他の誰かの痛みを救おうとしてきた。その一方、自身が狙われている
時には水臭いほど周りを巻き込むまいとするし、だからといって自分をやたらに粗末にすることもない。周囲がかけてくれて
いる思いの意味も、失い残される者の痛みも、充分承知しているからだ。
 それなのに、今回に限ってこんな無茶をしたのは。
(両親の事・・・なんやろなぁ、やっぱり)
 自分も仮眠を取る事にして恭介の隣に座布団を並べながら、哲平は思う。
 事故の時恭介が庇った婦人の、娘が叫んでいたという言葉。

 『お母さん、逃げて』――――
 
 それはもしかして恭介自身が夢の中で、或いは両親の事故のことを想う中で、何度となく繰り返してきたものと同じでは
なかっただろうか。
 すべてが解決して真相を知った今も、恭介の原点ともいえるその痛みが消える事はないのだろう。
 ただ、どんなに痛手を受けようともやがて頭を上げて立ち上がり、真っ直ぐ歩いて行くそのつよさが、哲平には眩しく感じられ
惹かれるところなのだったが。
(そんでも、お前の受ける苦しみが減るわけやない)
 哲平は毛布を一枚被って、眠る恭介の方を見つめた。
(オレは、お前のために何ができるんやろ・・・)

 考えているうちにいつの間にか眠ってしまったらしい。
 哲平は、ふと部屋の中に起きている人の気配を感じて薄く目を開いた。
 中途半端な目覚めでぼんやりしている頭をそろそろと動かして見ると、裏庭に面した障子の前に、誰かが後姿で
立っていた。
 ごく小さな歌声がそちらから流れてくる。
 遅い月が差し込んで、淡い光で障子の向こうを白く照らし出していた。夜というより明け方に近い時刻らしい。
 しばらく外を眺めていた人影は、やがてゆっくりとこちらを振り返り、二人のいる方へ歩いてきた。
 不思議と警戒する気が起こらず、哲平は目を閉じる。
 畳を踏む音が二人の枕元に近付いてくると、そこで座り込んだような衣擦れの音がした。
 そして再び、かすかに歌う声が流れ始める。
 (ああ、この声はねーさんや)
 ほとんど眠りかけている頭で哲平は思った。
(・・・この歌、何やったっけ・・・・・・?)
 声があまりにも小さいので旋律は途切れ途切れにしか聞こえない。それでも何度か繰り返されるうち、なんとなく
わかってきた。
(そうや、確かどっかの子守唄・・・)
 やっとそれだけ思いついたところで、哲平はまた眠りの中に戻っていった。
 ――歌はまだ、その後のまどろみの中でも聞こえていた。

 次に目が覚めた時は、障子の向こうは日の光に変わっていた。
 月明かりの中で見た姿はもう部屋から消えている。
 起き上がった哲平が隣を見ると、恭介はまだ眠っていた。どうやら昨日より顔色も良くなっているようだ。
 その時、そちらの枕元に見覚えのないタオルが落ちているのに気が付いて、拾い上げた。水で絞ってあるらしく
湿り気がある。
「あれ・・・・・・?」
 呟いたところで恭介が目を覚ました。少し身じろぎして目を開けると哲平の方を見上げる。
「・・・おはよ、哲平」
「おう、気分はどないや」
 哲平は側から体温計を取り上げて恭介に渡した。相手はそれを受け取りながら
「うん、大分良くなった。背中もほとんど痛まないし」
「そぉか。そりゃ良かった」
 身体の上から毛布を退かした哲平は、ふと手を止める。・・・自分で掛けたのより一枚多い。
「どうかしたのか?」
「あ、いや・・・」
 曖昧に答えて立ち上がり、仮眠に使った毛布と座布団を片付け始める。
 そして、思いついて恭介に尋ねた。
「なぁ、こんな歌知っとるか?」
 月明かりの中で聞いた旋律を思い出して歌ってみる。
 聞いていた恭介は、やがてこう答えた。
「懐かしいな、それ。・・・昔、母親が歌ってた」
「え」
 哲平は少し息を呑んだ。
「――恭ちゃんの母さんが?」
「うん。題名とかは知らなかったみたいだけど。なんとなく覚えてたって言ってた」
「・・・・・・そうか」
「哲平、それ何て曲だか知ってる?」
「いや、知らん。オレも何だったかな思うて」
「ふーん」
 哲平は毛布を押入れにしまい、恭介は横になって天井を見詰めたまましばらく何も言わなかった。
「そういえば、なんか小さい頃の夢を見たような気がする・・・」
 呟いた時、タイマーの電子音が鳴ったので恭介は襟元から体温計を抜いた。
 それを受け取ろうと手を伸ばした哲平は、ふいに真正面から恭介に真剣な瞳を向けられてうろたえた。
「なっ、なんや恭ちゃん」
「――その歌、何処で聞いたんだ?」
「え、あ、いや、何処って。・・・・・・あ、ああ、良かったな恭ちゃん。もう熱ないで」
 慌てて体温計の表示を見る振りで目を逸らすと、恭介は急に黙って布団の中で向こうを向いてしまった。
「きょ、恭ちゃん?」
 しばらくそのままでいた後、恭介はぽつりと言った。
「・・・なんでそんなに隠そうとするんだ」
「え・・・・・・」
「――お前さ」
 背を向けたまま、低い声で恭介が言う。
「俺には嘘つけないっていつか言ってたよな」
「・・・・・・・・・」
「確かに、わざと言わないでおくとかふざけて話を逸らすとか、独自の解釈をするとか結構あったけど、
 騙したりはしなかったよな」
 哲平は真っ青になった。
(恭ちゃん・・・退院した日のこと、ずっと怒ってたんか? この二、三日やけに水臭いこと言う思うとったし、
 も、もしかして拗ねとるとか・・・)
 絶句していると、恭介の声が一層低くなった。
「別にいいよ。ご隠居と所長と、二人掛かりの命令じゃ逆らいようがないしな。理由はまだはっきりしないけど
 俺の為にしてくれた事なんだろうし。・・・仕方ないよな」
(いや絶対まだ怒っとるって!!)
 哲平の背中に冷汗が流れる。――本気で怒られたら、恭介は成美と同等以上に怖い。
「退院してからお前、俺に言わないでいる事いろいろあるよな・・・・・・」
「――すんません、ゴメンなさい、オレが悪かったです!!」
 たまらず哲平は声をあげ、畳に手をついた。
「もう絶対せえへんからっ!!」
「・・・・・・」
 恭介は答えない。
「大将には恭ちゃんの具合知らせてくれ頼まれて連絡取っとるし、歌は・・・昨日の夜中、多分ねーさんが
 歌うとった」
「・・・“多分”?」
 姿勢はそのままで、恭介は目線だけちらっと哲平の方に向ける。
「オレそん時寝ボケてたし、影しか見てないし、声小さかったし・・・でも、あれはねーさんやったと思う」
「・・・そうか」
 また視線を向こうに戻してしまう。
「わー、待って! あ、あともひとつ大将に頼まれてるのは、シゲに、裏の連中で怪しい新顔の動きあったら聞いといて
 教えてくれいうて」
「・・・他には?」
「もうこれだけやって! ホンマや恭ちゃん。信じてぇな」
「・・・・・・・・・」
「・・・恭ちゃ〜ん・・・・・・」
 いつまで待っても恭介がこちらを向こうとしないので、哲平は肩を落とし、立ち上がって部屋を出て行こうとした。
 その時、
「――良かったな」
 後ろから掛けられた声に立ち止まる。
「成美さん言ってたぞ。『まったく、こんなに手をかけさせる弟ばっかりで、姉になんてなるもんじゃないわ』ってさ」
「き・・・」
 振り向いた哲平の顔がみるみる赤くなる。
「うちの子守唄も聞いた事だし、晴れて“弟兼下僕”のご同輩だよな。あんまり変わらないけど」
「恭介っ!! お前、知っとったくせにわざと・・・・・・!」
「成美さんが歌ってたのは知らなかったよ。俺が見たのはお前に毛布掛けてるとこ。その前に、こっちにタオルのせられて
 気が付いたんだけどな」
 顔をしかめながら半身を起こし、恭介はようやく向き直った。
「それにお前が俺にいろんなこと黙ってたのは変わりないだろ? ――他の事だったらこんな風に無理矢理聞きだそうとは
 思わないけど、みんな俺の事じゃないか」
 恭介は強い瞳で哲平を見返した。
「心配して守ろうとしてくれるのはありがたいし、もちろん嬉しいけど、あんまり囲い込まれたら息ができなくなるんだ。
 それに、多分・・・俺自身が駄目になる」
 目を伏せて言われた最後の言葉に、哲平は戸惑う。
「駄目になるて、恭ちゃんならそんなこと・・・」
「なるよ。きっと――甘えて、頼ることが当たり前になってしまう。所長にも、ご隠居にも・・・お前にも。それに慣れてしまっては
 いけないんだ。俺は探偵なんだから、危険はつきものだし、別の誰かを巻き込む恐れもある。実際、お前にも怪我させてるし
 京香さんも危ない目に会わせてる。自分でもっとちゃんと対処できるようにならないと」
「・・・・・・」
 哲平はしばらく黙って聞いていたが、やがて溜息をついて言った。
「わかった。――オレが悪かったわ。おんなじ屋根の下に居れる思うて少しはしゃぎ過ぎたかも知れん。守ろう思て反対に
 苦しめとったらしゃあないわな。スマン。・・・けど、」 
 哲平は部屋の中に引き返してきて恭介の傍に膝をつき、真顔になって言った。
「こないだの事故みたいに自分だけではどうにもならん事もあるやろ。そん時は聞けへんぞ」
「・・・うん。助けてもらってばかりなのはわかってるんだ。ごめん――結局、俺の我儘かも知れないけど」
 恭介がそう言うのに哲平は苦笑した。
「恭ちゃんが我儘なぁ・・・ そやったら、せめて背中痛い時には正直に“痛い”の一言くらい言うてみいって。声呑んでじいっと
 耐えとるのなんて、見てるこっちの方が痛いわ」
「・・・・・・ごめん」
 力のない声で謝ると、恭介は再び布団に横になって、頭を枕に預けた。
「起きとるの、しんどいか」
 掛け布団を直してやりながら哲平が尋ねると、
「ずっと寝てたせいかな、少し目が回るんだ・・・」
「熱が下がったばかりやし、昨日何も食うてへんしな。――お手伝いさんがおかゆ作りおきしといてくれとるけど、食うか?」
「うーん・・・」
 ありありと“食べたくない”という顔をする恭介に、哲平は言い聞かせた。
「少しずつでも食っていかんと治らんやろ。今、台所行ってあっため直してもろてくるわ」
 そして立ち上がって、今度こそ部屋を出た。

 その後結局、病院に検診を受けに行く日の朝まで恭介は床を払うことができなかった。
 熱を出した時、痛みで余計に体力を削られた上に、あまり恭介が食事の量をとれない事が回復を遅らせているらしかった。
「なぁ恭ちゃん、病院行ったら一緒に風邪の方も診てもらえや」
 車の支度をしながら哲平が言った。恭介は電車で行くつもりだったのだが、『そんな危なっかしい足取りでホームの端から
 落っこちでもされたらかなわんわ』と言われて、車で送ってもらう事になったのだ。
「でも、あそこ外科だろ」
「ああいう寄合所みたいになってる病院て、実際は何でもありやろ。ええから聞いてみいって」
「そ、そうなの?」
 哲平は眉を寄せた。
「とにかくその食べられんのだけはどうにかせんと。でないといつまでたっても良うならんやろ。――サイバリアの覇王の
 恭ちゃんが、おかゆ一杯まともに食いきれんことがあるとはなぁ」
「だから妙な称号で呼ぶのはやめろって。・・・・・・今までの反動が来たんじゃないか?」
「あんま洒落にならんで、それ・・・」

 そして、恭介は病院で、担当医の有沢から一件の依頼を受ける事になる。


                                                               <了>


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