【入院小景】


    夜明けまで



 山地の麓にある病院の夜は静かだった。
 日中のリハビリの疲れが出て早めに寝んでいたせいか、恭介は深夜に目を覚ました。
 少し前までは昼夜かまわず眠気におそわれていたというのに、今夜は何故かすぐに眠りに戻ることができない。
 しばらく甲斐のない努力をしたのち、恭介は諦めて起き上がった。
 病室の中は暗いが、あちこちから洩れてくる明かりがあるので何とか見えないこともない。
 ゆっくりと身体を動かして向きを変え、足を下ろしてスリッパを履く。慎重に立ち上がると窓際に寄ってカーテンに手をかけた。
 遠羽ほど都会化していないこの街の夜は照明も少なめで、山の抱えている闇がいっそう濃い。
 その土地柄と、病院の敷地内ということもあってか窓を閉じているとはいえ、ほとんど物音は聞こえなかった。
 わずかに病院を囲む木立を透かして、向こうにあるはずの道路を何かが走りすぎていったが、それだけだ。
(爆音・・・ バイクかな)
 しばらくそうして立っていると息のかかるあたりの硝子が曇って外が見えなくなってくる。
 表面を拭う代わりに、恭介はそっと鍵を外してほんの少し窓を開けた。
 たちまち冷気が流れ込んできて硝子の曇りを消し、入れ替わりに室内の暖かい空気が夜の中へ漂い出てゆく。
(さすがに寒いな・・・)
 少し外の空気を吸ってから窓を閉めようと手を伸ばした時、下の敷地内を誰か歩いて来るのが目に入った。
(夜勤の職員の人かな?)
 なんとなくそのまま見ていると、人影は少しずつ、しかし真っ直ぐにこちらの方へ向かってきて、やがてちょうど恭介のいる
窓の下で立ち止まった。
(・・・・・・!)
 その人物が建物を振り仰ぎ、恭介と目が合った。途端に相手はぎょっとした表情で固まってしまう。
「げ」
「あ」
(哲平――!?)
 叫び出しそうになって慌てて口を抑える。深夜の病院で大声を出すわけにはいかない。
 とっさにベッドのサイドボードから携帯電話を取り上げ、窓をもっと開いて下へ見えるように示すと、哲平も了解してポケットを
探るのが見えた。やはり焦っているのか、一度取り落としたりしている。
 恭介が発信ボタンを押して電話を耳にあてると、こちらから何か言う前に激しいささやき声が響いてきた。
『な、なんで恭ちゃん起きとんのやこんな時間に!!』
「それはこっちの台詞だよ。どうしたんだ、今頃こんな所で」
『たまたまこっちに用があって・・・ って、それどこやない!!』
 哲平はこちらを見上げて手を振り回している。
『早よ窓閉めて、中に入り!! 冷えたら身体に障るやろ』
「平気だよ、少しくらい。お前どうやって来たんだ?」
 当然電車なんかない時間だ。
『ハマで顔見知りの奴に単車借りたんや』
「その格好で?」
 哲平の着ているのはどう見ても街中を歩くくらいがせいぜいの軽装だ。寒風にさらされるバイクに乗ってくるのに適当とは
言い難い。
 恭介は難しい顔で哲平の様子を見つめた。
(・・・・・・・・・)
『まぁどうでもええやろそんなことは。オレもう帰るとこやから。今夜中に返す約束なんや。ほな、恭ちゃんも早よお休み』
 背を向けようとしている相手を見据えながら、恭介は電話に向かって低い声を送り込んだ。
「待てよ。ここまで来てそれはないだろ? 上がって来いよ。夜間受付から入れるのは知ってるだろ」
『病人の睡眠時間を邪魔するつもりはあらへんて』
「どうせ眠れなかったところなんだ。かまわないよ」
『なら、この男前のカオ見たら満足したやろ? ちゃんとあったかくしてお休み、な?』
「・・・わかった」
 恭介は息を吸い込んだ。
「じゃあ、俺がそっちに行くから」
『な・・・!!』
 戻りかけた足を止めて、哲平が弾かれたように振り向く。
「今から降りてく。ちょっと待っててくれ」
『じょ、冗談やないっ!!』
「練習代わりに自販機まで歩くって言えば出してもらえるから。まだあまり早く動けないけど、そこにいてくれよな。でないと外を
 探し回る羽目になるし」
『・・・!!』
 窓の中と外とで睨み合う。
「それとも、お前が・・・」
 そこで恭介の身体がふらりと揺れた。窓際にもたれかかって、そのまま動かない。
『恭ちゃん!?』
「・・・・・・」
『――恭介!! どないしたんやっ』
 焦って見上げる哲平の耳に、ようやくか細い返事が届いた。
「大丈夫・・・ ちょっと、めまいがしただけ・・・」
『言うたこっちゃないっ。早よ窓閉めて――』
 しかし窓際の姿が沈み込んでいくのを見て、その先は途切れた。
『恭介っ!! くそ』
 哲平は身を翻し、夜間受付に向かって走り出した。
 目の端でそれをとらえた恭介は、床に座り込む前にどうにか身体を支えてベッドの横にある椅子を引き寄せた。腰をおろして
顔を布団の上に伏せ、呼吸を整える。
「どうかしましたか。 話し声がしたみたいですが・・・」
 病室のドアの向こうから、夜番の刑事が顔を出した。恭介の様子に気づいて室内に入ってくる。
「真神さん、どうしました? 先生を呼びましょうか」
「いえ、すみません、大丈夫です。それより・・・」
 恭介は努めて頭を上げ、刑事に頼んだ。
「今から哲平が来るんで入れてもらえますか」
「えっ?」
「俺が呼んだんです。・・・眠れないから、来てほしいって」
 視線を落として呟くと、地元署所属のその刑事は、思い当たったような顔をしてうなずいた。
「――わかりました、今夜は大目に見ましょう。上には内緒ですよ」
 職員を呼ぶ必要がないかもう一度尋ねてから、刑事は入口のナースセンターに話をするため立ち去って行った。
 ドアが閉じられる音を聞きながら、恭介は再びベッドに身体をもたせかけた。


 ややあって、ドアの外から慌しい足音と人声が聞こえてきたのに気が付き、恭介は頭を起こした。
 次の瞬間、乱暴にドアが開かれて哲平がとびこんでくる。恭介の様子を見るなり物も言わずに駆け寄ってきて、傍の毛布で
相棒の身体をくるみこんだ。そのままベッドの上に抱え上げて寝かしつける。
「寒さには特に気ィつけなあかんて何度も言われとるやろ!!」
「・・・ごめん・・・」
 それからまだ窓が開いているのに気付いて舌打ちし、そちらに向かうと急いで閉め切った。
 念入りにカーテンを引いてからようやくベッドの横へ戻ってくると、哲平はどさりと椅子に腰を下ろした。
「ったく、無茶するんやないで」
 肩を落として大きく溜息をつき、今度は掛け布団を重ねにかかる。
 途中で、恭介がその手に触れて止めた。
「無茶は、お前もだろ・・・」
 はっとして見ると真っ直ぐな視線が向いている。腕を引こうとしたが恭介は離さなかった。
「こんなに冷えて、手もすっかり凍えて―― さっき携帯落としてたよな。こんなじゃ、ハンドルもろくに握れないだろう? 手袋して
 こなかったんじゃないか」
「・・・そんなん推理せんでもええのに、名探偵」
 哲平は視線を泳がせた。
「や、でもメットはちゃんと被っとったで」
「当たり前だ」
「手袋やって、停めたとこに置いて来ただけで・・・」
 ベッドから厳しく見つめられて口ごもる。
「すんません、後はこのまんまで来ました」
 哲平の手を押さえたまま恭介は上体を起こし、足元の毛布を一枚取ると、傍らの相棒に向かって、背中から広げて掛けた。
「もう今夜はここにいろよ。日が出て気温が上がるまでバイクで帰るのは禁止だ」
「ええ〜」
「えー、じゃない。事故起こしたらどうするんだ。そんな状態で出ていくのは絶対駄目だからな」
 言い渡すと、再びベッドに倒れ込むようにして横になる。
 それを気遣わしげに見ながら哲平は困った顔で言った。
「なぁ、オレに触っとったら恭ちゃんまで余計冷えてまうで? 離したほうがええんちゃうか」
「この部屋、暖房強めにかかってるから大丈夫だろ。それにこうしてれば早くあったまるし」
「いや、そうやなくて――」
 恭介が目を閉じてしまったので、哲平は言い募るのをやめた。
 それきり会話は途絶えて、しばらくの間、夜の薄闇に包まれた部屋の中は院内の僅かな物音だけになる。
 いくらかの時間が過ぎた後、恭介の手から沁みてくる温もりを感じながら哲平がそろそろと腕を動かそうとすると、意外にも
はっきり力を込めて引き留められた。
「恭ちゃん・・・ 起きとんのか」
「うん」
 恭介は目を開いた。
「まだ駄目だぞ。夜は明けてないからな」
「ずっとそうしとるつもりなん? 恭ちゃんが眠れへんやろ」
「俺はいいんだ。・・・お前が、眠れるなら」
 反射的に相棒の顔を見た。ゆっくりと、表情を消した視線が戻ってくる。
 何も答えられずにいると、やがて手が伸ばされて、哲平はベッドの方に引き寄せられた。
 暖かい腕が肩にまわる。
「ごめんな・・・」
 低い声が頭の上で聞こえた。
「――やっぱ、恭ちゃんにはお見通しやな」
 温もりに包まれながら、哲平は自嘲の笑みを浮かべた。
「・・・ごめん」 
「なんで、恭ちゃんが謝るん」
「・・・・・・」
「お前のせいやないやろ」
「・・・・・・」
「オレが・・・アホなだけや」
 わずかに肩が震え、回された腕に少し力がこもる。
「お前のおかげで、俺は生きてる」
「・・・・・・」
「お前が見つけてくれたんだ。あの時も、今度も。・・・忘れるなよ」
「・・・恭介・・・」 
「大丈夫、俺はここにいるよ。――ちゃんと、生きてる」
 静かな声と共に、じわりと広がるあたたかさが、服ごと冷え切った身体と心の中へ沁みとおってゆく。
「忘れそうになっても、こうしてればわかるだろ。・・・だから」
 肩からはなれた腕が、緩やかに哲平の背を薙いだ。
「今夜はもう、悪い夢は見るなよ」
「・・・そうやな・・・」
 哲平は逆らわずに目を閉じた。
(――なぁ、お前の方は夢見たりせえへんのか。あの夜のこと・・・)
 たずねたい思いは、しかし声に出されることはなかった。
 やがて、部屋の中から聞こえる音は二人分の静かな寝息だけになる。
 そのまま空が明るくなるまで、穏やかな時間は過ぎていった――


 朝食が配られる時間になってようやく恭介が目を覚ますと、既に哲平の姿はなかった。
 ほんの少し前に帰って行ったらしい。警備の刑事も新しい顔に交代していた。
「昨日あんまり眠れなかったみたいだから、できるだけ休ませてくれってお友達も刑事さんも言ってったんですよ」
 朝の仕事にやってきたナースが笑った。
「今日はリハビリもお休みですって。・・・カウンセリングの先生とお話しします?」
「いえ、いいです」
「そう。じゃ、今日はゆっくり休んでくださいね」
 引き返していく前に「あ」と振り向いて、
「ゆうべ窓開けてたんですって? 駄目ですよ、そんなことしたら」
「・・・すみません」
「この辺は夜すごく冷えますからね。まだ雪だって降るかも知れないくらいなんですよ。気を付けてくださいね」
 再び病室の中で一人になると、恭介はベッドの上からすっかり明るくなった窓の外を眺めた。
 人や車が行き交い、世間では今日も変わらない一日が始まるのだろう。
(・・・雪、か)
 胸の奥に一瞬よみがえった夜闇とその中に白く浮かぶものの記憶をしまい込み、恭介は目を閉じてゆっくりと湧いてきた眠気に
身を任せることにした。


                                                                                【了】   

                                        (2005.10.5 初回公開  同10.12 一部修正・サイト内収容)



★コメント :これは「入院小景」と名づけた小話シリーズの一つになります。
         ・・・すみませんが、この話の背景については一切説明をいたしません。――しませんってば(笑)。
         まぁ中にはカンづく方もいらっしゃるとは思いますが、胸に秘めておいてください〜。

         (2005年10月11日追記)
         ブログを見ていただいた方へのお礼小話として公開したものをサイト内にこっそり(笑)収容。
         「こっそり」をやめる日が果たしていつになるのかは見当もつきません(おいおい)。
           

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