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   〜天秤外伝〜 勲章


 ご隠居の家に居候するようになってから、しばらく経った頃。

 寝る支度をしようと部屋で布団を広げていたら、いきなり
「恭ちゃん、一緒に風呂入らへんか〜?」
 大きな声と共に襖が開いて、哲平が入ってきた。
「お前な、もう夜遅いんだからあまり騒ぐなよ。 ――俺はいいよ。今日帰り掛けにうちでシャワー浴びてきたし」
「あー、アカンアカン」
 哲平はわざと難しい顔をして頭を振ってみせる。
「それじゃ身体が冷えてまうで。ちゃんと浸かってあったまらんと。さっ、行こ行こ!!」
 腕を引っ張ってこちらを立ち上がらせ、そのまま連れて行こうとする。・・・決定らしい。
 まあいいか。確かにちょっと寒くなってきたし、此処のお風呂は大したもんだし、何より、哲平がすごく嬉しそうだ。時々あるけど、こういう時って
断りにくいんだよな。
「わかったからちょっと待て。着替えくらい持って行かないと」
 引きずられかけるのをどうにか踏みとどまってそう言うと、
「えー? そんなん後でもええやん」
と不満顔だ。
「ここん家の廊下を湯上りタオル一丁で歩くのは嫌だ」
「オレはしょっちゅうやっとるで?」
「・・・・・・・・・・」
 お客さんがいたらどうするんだとか、高級な床材の上に滴を落としたら染みになるから大変とか・・・ 言っても無駄なんだろうな。
 少し脱力しながら、それでも最低限の着替えだけは何とか確保して、哲平と一緒に風呂場へ向かった。


 到着すると、哲平はさっさと服を脱ぎ捨てて先に浴室へ飛び込んで行く。
 こちらは包帯を外す分手間が掛かるので、そうすぐにとはいかない。背中に手を回して当て布を抑えながら巻き取りをしていると、
哲平がひょいと顔を出した。
「恭ちゃん、まだかー? 早よおいでや。今日はオレが背中流したるからな」
「えっ!?」
 驚いて振り向くと、
「大丈夫やって、オレ上手いねん。ご隠居にも誉められてんで? 傷んとこもちゃーんと優しくするからやぁ」
 得意そうに笑ってみせて、またすぐ引っ込んでしまった。
(背中流すって・・・)
 そんな事するのもされるのも、小さい頃じいさんと入って以来だ。ていうか、誰かと一緒に風呂に入ること自体、家以外では学校の旅行
くらいしかなかったような気がする。うちの風呂を哲平に貸したことはあったけど、狭いしユニットバスだから一人ずつしか入れないし。
この家に来てからは、俺は怪我の後だから入浴にはいろいろと制限があって、普通に入れるようになったのは割と最近だし。
 そうやって考えてみると、同じ屋根の下にいてもこれまで哲平と一緒に風呂に入る機会はあまりなかった。もしかしたらあいつの方は
ずっと楽しみに待ってたのかも知れないな。
 そんなことを考えながらようやく支度を終えて、浴室の戸を開ける。五人は同時に入れそうな広い洗い場の中に、薄く白い湯気が立ち込め
ている。浴槽も大きくて立派な木造りだ。檜かどうかわからないけど、いい香りがする。――いつ見ても、まるで高級旅館みたいだなぁと
感心してしまう。
 手桶を取って蛇口の前へ行くと、さっそく哲平が浸かっていた湯から上がってきて俺の傍へ寄ってきた。
「いらっしゃ〜い♪ ようやくお出ましやな。ほな、始めよか」
 三助か、お前は・・・。テンションが高い割に、いつも外でやるみたいに跳びついて来ないのは、さすがにこんな所で引っくり返ったら
大怪我になりかねないからだろうな。
「お前、自分の方は?」
 背後に回る哲平を横目で見ながら訊いてみると、
「もう洗った」
と返事。
「早過ぎだろ、それ。俺が入ってくるまで幾らもなかったじゃないか」
「いや、けっこう経ってんで? 恭ちゃん几帳面に包帯巻き直しとったやろ。んなことしとるから、ほれ。すっかり肩が冷えとるやないか」
 片手でシャワーノズルを掴んだ哲平が、もう片方の手でこちらの肩に触れて言う。
「・・・そうかな」
 確かに、触れる掌はとてもあたたかいけれど。
 首を傾げていると、哲平は何だか真剣な顔で湯温目盛の調節をして、それから慎重な手付きでシャワーの栓を捻った。一度自分の手で
受けてみてから、噴き出す湯をゆっくりとこちらに向ける。
「沁みへんか?」
「うん、大丈夫」
 応えると、安心したように、背中の端から中央に向けて湯の雨が移動してくる。
 シャワーの音に紛れながら、哲平の声が呟くように聞こえた。
「傷の周り、だいぶ綺麗になってきたな」
「そうだな、もうほとんど痛まないし」
 背を流れ落ちる温かさを感じながら、軽く顔と身体の前半分を洗う。一度入ってるから簡単でいいだろう。
 自分で言うだけあって、哲平の洗い方は上手かった。力を入れ過ぎず抜き過ぎず、ちょうどいい強さで身体の表面を擦っていく。
「・・・ご隠居の背中流すのって、よくやってるのか?」
「時たまな。ご隠居から声かけてもろたり、こっちから今日どうですか言うてみたり」
「そうなんだ」
 きっとその時は二人とも嬉しそうにしてるんだろうな。
「はじめの頃は大変やったけどなー。いっとう最初はオレから言い出したんやけど、ここん家きてまだ間もない頃やったから、兄さん達に
 えらい怖い顔されてやぁ。風呂場の外から見張られてな、ちょっとでも妙な素振りしたらブチ殺すて、口で言わんでも気配でガンガン
 飛んできてん」
「・・・そりゃすごいな」
 言い出したお前も、受けたご隠居も。
 元は鉄砲玉だった奴がそんなこと言い出したら、そりゃご隠居の周囲の人達は黙ってないだろう。
「けどな、風呂場でご隠居ひと目見たら、そんなこと全部頭から吹っ飛んでしもうた」
 きゅっきゅと栓を閉める音がして、背中にあたっていたシャワーが止まる。洗い終わったらしい。
 振り向くと哲平が身振りで浴槽の方を示したので、立っていって、並んで湯の中に身体を沈めた。
「――全身凄い戦さ傷でな」
 思い出しているのか、視線を宙に向けて哲平は呟いた。
「刀傷も弾傷も数え切れんくらいやった。・・・オレが阿呆みたいに突っ立っとったら、何でもない云う風に笑われてな。『どうだ、これだけ身体に
 勲章つけとる奴は今時そう居らんだろう』て」
 それを聞いて俺の頭の中にも、いつかの成美さんの言葉がよみがえる。『じじいは鉄砲なんか慣れてるから』・・・
 そうだ。今の穏やかな様子を見ていると時折うっかり忘れてしまいそうになるけれど、ご隠居は、いつ命を落としてもおかしくないような激しい
生き方をしてきた人なんだ。
 そして、それはもう一人も多分同じで。
 反射的に哲平の方を見る。自然に目が向かってしまうのは、片側の脚に残る傷痕。
「数は比べもんにならへんけどな、オレかて自慢できる勲章はこの通りあるんやで?」
 明るい声に促されて顔を上げると、哲平が俺を見ていた。脚の傷に触れながら、視線を外さずに言い切る。
「こいつはお前と一緒に戦った証や。オレにとって、これ以上のもんは無い」
「・・・・・・っ」
 何か言おうとしたのに声が出なくなる。あの時はああするしかなかった、それは解っているけれど。でも――
 頭も胸もいっぱいになってしまった俺に、哲平はやわらかく笑いかけて手を伸ばしてきた。片方の手で頭をくしゃっと撫でて、もう片方は
俺の背に触れて。
「お前のコレも、勲章やろ」
「え・・・」
 言い聞かせるような優しい声。
「お前が庇わんかったら、あの娘のオカンは死んどったんやろ。人の命救ってついたもんや。お前らしい勲章やな」
 黙って見つめ返していると、そのうち困ったような顔をして、大きな溜息をついた。
「けどなぁ・・・ 恭ちゃんの勲章はこれだけで充分や。もう増やさんといて欲しいんやけど」
「・・・・・・うん」
 あの事故で心配を掛けたのはわかるから、素直に頷く。
 ところが哲平は続けてこんな事を言い出した。
「オレの方はもう何個かついてもええねんけどなぁ」
「なんでだよ!? 良いわけないだろ」
「いや、此処んとことか。ご隠居並みなんて贅沢は言わへんから、カッコええのがもうちょい付いとると男前三割増しに・・・」
「しなくていいから付けるなっ!!」
「ええー」
「えー、じゃないっ。――もう出るぞ」
 まだ『この辺に欲しいのに』とかぶつぶつ言っている哲平をおいて浴槽から上がる。
 本当は、解っているけれど。俺が落ち込んだ時にいつもそうやって引き上げてくれるお前のやり方。
 そのまま歩いて行って入口の戸に手を掛け、出て行く前に振り返った。
「――これ以上なにも付けなくたって、お前は充分男前だよ」
 そして、反応が返る前に背後で戸を閉めた。


 そう、勲章なんか欲しがるなよ。俺だってお前に傷ついてなんか欲しくない。
 お前が俺を守ると言ってくれたように、俺もお前を守りたいんだから――――




                                                                   〈了〉




★コメント
  ・真改様の「CAPRI」6000カウントお祝いに差し上げた小編です。お題は候補2つのうちから選んでいただきました。
  ・公開場所に一時悩んだりしましたが、開き直って(笑)普通に公開いたします。・・・2話で既に「哲平男前」のやりとりは
   あるので、時間設定6話過ぎのこの時点でこれくらい言ったって構わない、でしょう?(←なぜ疑問形)
  ・ちなみに「CAPRI」では、真改様の作によるこの後のちょっとしたエピソードが読めます。
   「CAPRI」カラーでありつつそちらでのいつもとはちょっと違った感じで哲平が独白してます。
   あちらのサイト傾向が大丈夫な方は是非ご訪問ください。(ご訪問の際は先方のご注意書きをご覧の上でお願いします)
 

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