Theme 26:狂気

    Lightning



 遠くで、轟音がしていた。


 暗闇の中に閃光が射す。
 乱暴に掴まれ、大事な何かから無理矢理引き離される。
「――――!!」
 叫んだ筈なのに、声が出ない。
 縋りつく手が引き離される。誰かの悲鳴。


 コノオンナ、ハラニコドモガイル。
 ソレハドウスルンダ。
 モチロンソイツモツカウニキマッテル。ムキズノタイジハキチョウヒンナンダ。
 タイバンヤサイタイダケデモケッコウツカイミチハアル。
 マシテタイジマルゴト。
 ハハオヤトコドモト、フタリブンノダイジナドナーダ。
 アツカイニキヲツケロヨ。


 (・・・何を言っているの?)
 同じ日本語のはずなのに。何を話しているのかわからない。
 わかりたくない。信じたくない。
 こんなことが。現実だなんて。
 私の身に、起こっているなんて。
 浴びせられる容赦ない品定めの視線。
 そう、私は人間ではないのだ。彼等にとっては。――ただの、品物。
(・・・狂ってる)
 どうしてこんな事ができるんだろう。こんな酷いことが、どうして。
 連れて行かれる。そして身体が切り裂かれ、ここに宿している大事な命も。
(いや・・・)
 私は身を捩る。掴まれた手を振りほどこうともがく。
(やめて、嫌、この子だけは!)
 どんなに暴れても逃げられない。
 そんな酷い目に会うくらいなら、いっそ、この場で発狂してなにもかもわからなくなってしまいたい。
(いや・・・・・・―― っ!!)


 自分の悲鳴で目が覚めた。
 たちまち夢は薄れて消えてしまい、どんな内容だったのか忘れてしまった。
 ただ、底知れない恐怖だけが残っている。
 まぶたを開いても目の前にはまた暗闇が広がっている。
(・・・まだ、終わっていないの?)
 ふいに恐慌にとらわれる。
 覚めたと思っただけで、まだ、あの夢の中にいるのだろうか。
 再び喉が悲鳴で詰まりそうになる。

 ・・・そのとき、

 「―― おかぁさん?」  
 ふわっと、円い、暖かい光が灯った。
 隣の布団から起き上がる物音がして、明かりを抱え込んだ幼子が私の顔をのぞきこむ。
「どうしたの、こわいゆめみたの?」
「・・・あ・・・・・・」
 私が半身を起こすと子供は膝に上ってきた。
「だいじょうぶだよ。ぼくがでんきつけたから、もうおばけいなくなっちゃったよ」
 ね? と、得意そうに、嬉しそうに笑う。
 抱えている明かりと同じくらい、光に満ちたその笑顔。
「そうね。どうもありがとう、恭介」
 明かりごと思いきり抱きしめる。
 柔らかい頬の感触。小さな身体の温もり。
 ・・・そうだ。悪い夢はもう、終わったのだ。これが、私の現実。
 いとおしい生命はいま、この腕の中にある。
「・・・おかぁさん、くびかざりがいたいー」
「あらあら、ごめんなさい」
 腕を緩める。幼い息子は抱えていたタッチライトを横に置いて、石がちくちくすると文句を言っている。
「―― 母さん、大丈夫か!?」
 足音が近づいて襖が開かれ、懐中電灯の光と共に慌てた様子の夫が入ってくる。
「あ、おとーさん」
「あなた・・・」
 彼は布団の横へやってきて、私の傍に片膝をついた。
「さっき落ちた雷のせいで送電線が切れたらしいな。急に停電になったから・・・」
「だいじょうぶだよ。ぼくがもうおばけやっつけちゃったから!」
 息子が自慢げに報告する。
「お、そうかそうか。偉いぞ恭介、よくやった」
「うんっ! あ、じいちゃん」
 頭を撫でられてにこにこした恭介は、開いた襖の向こうに祖父の姿を見つけて走り寄っていった。
「―― 大丈夫かね」
「すみません、大丈夫です。もう落ち着きましたから・・・」
「まだ顔色が悪いじゃないか」
 夫が心配そうに言う。その向こうでまた雷鳴がした。
 途端に恭介が目を丸くして声をあげた。
「あっ、すごーい! いま、おそらがむらさきいろにひかったよ。なんかぎざぎざのせんみたいなのがみえた!
 じいちゃん、じいちゃん、まどあけてもいい?」
 言い終わらないうちに廊下の突きあたりの窓に向かって駈けて行く。
 義父は苦笑した。
「あの子は引き受けるから、電気が回復するまでしばらく一緒にいてやりなさい」
「はい」
 義父は子供の後を追って廊下を歩いて行った。そんなに乗り出したら雨でぬれるぞ、とたしなめる声がしている。
「・・・ あの子は暗闇も雷も怖くないのね」
 私は呟いた。
 あの子は平気だけれど、私は駄目なのだ。部屋を暗くして眠る事ができない。
 一晩中明かりをつけたままでいなければ、先刻のように夜中に目を覚ましたとき恐慌状態になってしまう。それで
家族みんながこうして気遣ってくれる。
「すまなかった。こっちの部屋にいなくて」
「いいえ。ごめんなさい。・・・あなた、お仕事は?」
「こう真っ暗じゃ書類なんか読めないからな」
「・・・ それもそうね」
 くすっと笑ってしまう。その私を見て、彼もようやく安心してくれたようだ。
 隣に座り直し、廊下の方を振り返る。
「すごく好奇心旺盛なんだな、あの子は」
「ええ。最近は『どうして、どうして』って質問攻めよ」
「覚えるのも早いしな。今も俺のかわりに君を守ってくれたし」
 うんうん、と腕を組んでひとり頷く。
「教え込んだ甲斐があったってもんだ。小さくても立派に真神家の男だな」
 とにかく女性には優しくすること、というのが真神家の家訓なのだそうだ。
 何故そんなものがあるのかはわからないが、そのおかげで私も救われたようなものなので、義父や彼が
事あるごとに幼子に言い聞かせているのを横から見守っていた。
「・・・ でも、公園で身体の幅が倍くらいある女の子とケンカになっても、何もやり返せないから泣かされてるのよね」
「・・・ うーん」
 彼は頭を掻いた。その困っている様子がおかしくて、私はまた笑いながら話題を変えることにした。
「来年はあの子も幼稚園でしょう。そろそろ何処かに見学に行こうかしらって思ってるんだけど」
「ああ、そうだったな。よし、今度の休みに三人で出かけよう」
 ほっとした顔になった彼は、ふと息を吐き出して目を伏せる。
「・・・ ありがとう」
「え?」
 温かい手が、そっと私の肩を抱く。少し、煙草の匂いがする。
「―― この家に、来てくれて。今でもまだ信じられないよ。君は、優しい妻と可愛い子供がいる
 こんな幸せな家庭を俺に与えてくれた」
「そんな・・・」
 再び喉が詰まる。今度は恐怖ではなく、幸福のために。
「私の方こそ。何処の誰とも判らない私を助けてくれて、あの子の父親にまでなってくれて・・・ 本当に」

 どうして、ここまでしてくれるの?
 これまでも何度も聞いた。
 目の前で倒れてる人を助けるのに、理由なんかいるかい?
 答えはいつも決まっていた。
 その後に別の答えが加わったのは、あの子が生まれる時だった。
 これからもずっと一緒にいて、守っていきたいんだ。君も、この子も。
 俺がこの子の父親になるのを、ゆるしてくれるだろうか。
 私は涙を溢しながら、頷くことしかできなかった・・・・・・

「本当は」
 私の言葉に被せるように、彼が不意に口を開く。
「こんな事をしてはいけないんじゃないかと思ったんだ・・・ 君には、ちゃんとした別の家庭があって、
 あの子の本当の父親がいて、もしかしたら他の子供だって――
 でも、俺と父さんは、君を引き取ってすぐにあそこを離れて、遠いこの町まで引っ越してきてしまった・・・
 君を探してる家族がいるか、ろくに調べもしないで」
 早口で告げられる言葉に、思わず胸元のペンダントを握り締める。たった一つの、私の過去の拠りどころ。
 でも・・・・・・
「いいの」
 短い答えの中に何を感じ取ったのか、彼の手に力がこもる。
「いいのよ・・・」
 引っ越しを決めたのは義父の判断だったという。私が倒れていた時の様子から、“誰かに追われているのでは
ないか”と感じて、戸籍の手配をし、この家に匿ってくれた。
 私は記憶を失くしてしまったけれど、こうして時々みる悪夢の事を思うと、多分その判断は正しかったのだと思う。
 たとえ過去の私に別の家族がいたとしても、もう、それは・・・ 取り返しようがないのだと――
「ここが、私の家。あなたという夫がいて、恭介がいて、お義父さまがいてくれる。それが、私の家族。
 私は、しあわせよ」
「・・・・・・・・・・」
 肩の後ろで、何か言おうとして、やめた気配がする。私は自分の手をそっと彼の手に重ねた。
「ありがとう・・・・・・」


 空の何処かでまだ雷が鳴っている。
 やがて雨が上がれば、夏の目映い光が射してくるのだろう。
 毎朝の散歩で立ち寄る農家の露店には新鮮な夏野菜が並んで、あの子が西瓜を欲しがったりするかも知れない。
「・・・ ねぇ、朝になったら晴れるかしら」
「そうだなぁ」
「農家のお店、もう西瓜が出てると思う?」
「どうかな? ちょっと早いんじゃないかな。・・・ 今夜は遅くなりそうだから明日の散歩はどうかと思ったんだが・・・
 行くのかい?」
「ええ、行きたいわ」
「恭介のやつ、起きられるかなぁ・・・」


 光が眩しければ影が濃くなることを、私は忘れていた。
 私が記憶をなくしても、狂気の悪夢の方はまだ私を忘れていなかったのだということ、
 それに、最期まで気付かなかった――――





★コメント :柚木様の「MP愛好会」におおくりした、真神家の物語です。
        もともと投稿には別作品を予定していたのですが、そちらが進まなくて止まっていた時、全く突然に
        この物語が降ってきました。
        内容の暗さにどうしようかと迷ったのですが、いつまでも出来上がらないものをお待たせするより
        とにかくお約束を果たすべきと思い、お渡ししましたものです。
        真神家の物語という事は、MPのエピソード全体の原点の1つともいえるので、おおくりするのに
        そうそうふさわしくないこともないだろう(・・・)と。

        そして、まさに人間の狂気の所業とも思われるあの事件に触れるという事で、
        小田様の「お題」の1本ともさせていただきました。

        ですので、この作品は柚木様と小田様、お二人に捧げさせていただきます。
        ・・・・・こんな暗いので申し訳ありませんが。(笑)

        完全に恭介のお母さん視点に固定できましたので、その点では安定して書けました。
        時期的には例の事故の少し前という設定になっています。
        真神家については、ゲーム中でもっと詳しい事が知りたかったですね。
        

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