Theme 10:携帯電話
捜査課に配属され、オリエンテーション代わりに聞かされた話の中で 『携帯電話の着信音は基本の電子アラームから変えておくように』 と言われた。 なんでそんなもの、と思ったが『現場や署内で使用する様々な電子器材の信号音と紛らわしい』からだという。 もっともらしいが何処かこじつけ臭い。特定の場所とか集団特有の慣習かジンクスみたいなものじゃないかと思った。 それでふと思い出したような顔をして 「氷室さんの携帯は電子音のままだったような気がしますが」 と言ってやったら、相手の先輩刑事は苦笑していた。 「あの人メカオンチだからなあ。メールもろくに使えないし、電話するのがせいいっぱいみたいだよ。 ましてや着メロの替え方なんて知らないんじゃないの?」 ぽんと肩をたたかれて、良かったら教えてやってくれとまで言われた。――どういう人なんだ、氷室さんて。 そもそも刑事の捜査活動は二人一組という原則がある。このオリエンテーションだって本当は、俺と主に組む事になった 氷室さんが担当する筈だったのに、なにやら課長に呼び出されてお説教をくらってる最中とかで、この通り別の人から受ける 羽目になってしまっているのだ。 どうにも先行き不安だが仕方がない。そういう人と組んで尚且つ上を目指せという試練なのだと割り切ることにした。 その晩、自宅に帰ってから気は進まないながら携帯を片手に着メロサイトを幾つか探した。 面倒だったが、なんといっても自分はまだ新入りだ。急に型破りな事をして目立つわけにはいかない。今後の任務に差し つかえるような真似は避けて、この程度の慣習は受け入れるべきだろう。 最初は電子音以外なら何でもいいと思って機種付属の曲を見てみたが、面白味のないクラシックと流行のけたたましい アイドル曲しかなかったのでうんざりし、方針を変えた。どうせ決めなきゃならないのなら気に入った曲にしよう。その方が 精神衛生にもいいだろう。 曲名のリストを眺めていたら、気になるタイトルを見つけた。 “Painful rain” 思わず手を止めてしまう。これがあるとは思わなかった。 アレンジにもよるから迷ったが、ダウンロードしてみたら悪くない出来だった。――よし、これにしよう。 確認の為に1コーラスだけ聞いてから、ボタンを押して再生を止めた。 もう少し聞いていたい気もしたが、ここは一軒家じゃないから周囲の手前がある。着メロを鳴らしっ放しにするわけには いかない。 設定を終えて携帯をポケットに戻す時、手の中の機械に小さな灯りを宿したような、そんな気分がした。 翌日あらためて氷室さんと顔合わせをすると 「いやーすまんねぇ」 とへらへら笑っていた。・・・頭が痛い。 確か情報によればこの人は、要注意人物である鳴海誠司の部下だった事がある筈だが。やはり単に下についていたという だけでは能力的には何の関係もないのだろうか。 いや、油断は禁物だ。俺は尊敬する先生の言葉を思い出して気を引き締めた。 『どんな相手でも侮りすぎてはいけない。はじめから見下してしまっては警戒もされるし、先入観で判断を誤るおそれもある。 冷静に相手の力量を見定めることが肝心だよ』 刑事に昇進して、はじめて直にお目にかかった時の感激を再びかみしめていると、脳天気な声がそれをぶち壊しに してくれた。 「それじゃ電話番号の交換でもするかぁ? ・・・あれ、自分の番号ってどうやれば出るんだっけ」 「・・・・・・」 “メカオンチ”という話は本当らしい。 民間でさえ情報が武器である事が自明の理とされている現代に、それを相手にする警察官が携帯のひとつも使いこなせ ないとは問題じゃないのか。 あまりにも悪戦苦闘しているので、見かねて手を伸ばした。 「失礼します。自分がやってみますのでお借りしてもよろしいでしょうか」 「お、わかるかい?」 こんなものボタンいくつの操作でもないじゃないか。俺はすぐに番号表示を出してそれを自分の携帯に登録した。 念のため掛け直して氷室さんの携帯が鳴るのを確かめる。 ついでに今の着信を使って自分の番号を相手機のアドレス機能に登録した。 「へえ、さすが若いのは使うのが上手いねぇ」 のんきに感心している相手に携帯を突き返す。 「確認にこちらへ掛けてみていただけますか」 さすがにアドレス帳くらいは呼び出せるだろう。・・・と思ったら、画面を開いただけで手が止まっている。 今度は何なんだ。 「・・・えーと、何処に入れてくれたんだ?」 「ですからっ! 五十音順にリストになってるでしょう! “森川”ですから“ま”行を選んで下さいっ!!」 「・・・・・・・・・あー、あったあった」 まさかこの人、俺の名前を忘れてたとかじゃあるまいな。 ピ、と音を立てて発信ボタンが押されると、こちらの携帯が鳴り始める。――たったこれだけのことにどうしてこんなに時間が かかるんだ。 異常に疲れを感じていると、諸悪の根源が話しかけてきた。 「お、それ聞いたことがあるなぁ。・・・“Painful rain”じゃないか?」 「そうですが」 着信音を切って目を上げる。 「お前さんの年代で流行った曲じゃないだろう。よく知ってたな」 「・・・・・・父が、好きだったもので」 この流れではこう答えるしかないじゃないか。こんなこと、言うつもりはなかったのに。 「ふーん、なるほどねぇ」 その時の顔を見て直感した。――この人は喰わせものだ。用心した方がいい。 はっきりした根拠はなかったが、この印象は正しいような気がした。 ともあれ、こうして刑事としての日々は始まった。 その後、機械音痴な事以外では氷室さんへの評価をあらためたが、着信音は相変わらずそのままだ。 最近アレンジバージョンが流行っているらしいがそちらに興味はない。 俺の携帯からはこの曲が流れ続けるだろう。 きっと、いつまでも。 |
★コメント :遠羽署に配属されたばかりの頃の、森川の話です。 ・・・・・・いやー、時間てたいしたもんですねぇ。 去年の今頃、いや半年前までは森川のことを書くなんて相当の覚悟が要ったもんですが。 この話はものすごく自然に出てきました。不思議です。 最初はごく短く「Painful rain」着メロ決定シーンのみのエピソードになるかなと思ってましたが いつの間にか氷室さんとの出逢いも入ってきて、こんな風にまとまりました。 この話を書くにあたって、森川が組織入りした時期はいつだろうと考えたのですが 射撃の成績が偽られていたところからして、既に警察学校時代、遅くとも遠羽署配属前には その一員になっていただろうと推測しました。 枕ヶ碕が近いし、遠羽東通りという繁華街も管轄内にあるので、遠羽署へ配属されるのはそれなりに優秀な 成績で警察学校を卒業している人材の筈です。射撃の成績が良くなくても、きっと他の分野でカバーしたの だと周囲には思わせたんでしょうね。その辺は組織による工作だったんでしょう。もちろん。 |
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